吉原におんぶに抱っこだった蔦重も、ついに独り立ち。「生まれや育ちで人の価値は決まらない」”吉原もん”蔦重が日本橋進出にこだわった理由【NHK大河『べらぼう』第23回】
蔦重ならではの親孝行と生まれ育った場所への恩返し
身寄りのない蔦重が“江戸一の目利き”と称されるようになったのは吉原に育ててもらったからです。
蔦重は日本橋に店を移すことで、自分が孝行息子になれると市右衛門らにこう話していました。
「江戸の外れの吉原もんが 日本橋の真ん中に 店 張んですぜ。そこで商い切り回しゃ誰にも蔑まれたりなんかしねえ。吉原は 親もねえ子を拾ってここまでしてやったんだって!丑寅の門は 懐が深えって 俺が成り上がりゃあ その証しになる。生まれや育ちなんか 人の値打ちとは関わりねえ屁みてえなもんだって」
蔦重は書をもって吉原に賑わいを取り戻し、女郎を幸せにしたいと当初は考えていました。しかし、今は、彼の夢も責任ももっともっと大きなものに。気づいた頃には、吉原の将来を担う重鎮として、周囲から頼られる存在になっていました。

蔦重(横浜流星) 市右衛門(高橋克実) 女郎屋の主人たち 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」23話(6月15日放送)より(C)NHK
いつの時代も、私たちは偏見や固定観念で人やモノを判断し、差別します。市兵衛は西村屋や鶴屋の本が各地に流通する理由を、日本橋の一等地に店を構えているためだと蔦重に説明していました。日本橋に所在する店の品なら一流もの、間違いないと誰しも思えてしまう。また、松前藩主・道廣(えなりかずき)の弟・廣年(ひょうろく)は花魁の誰袖(福原遥)に対して「女郎ごときが」と侮蔑発言をしていました。藩主の家系の男から見れば、花魁は自分よりも下位の存在であり、物言うべき存在ではないのでしょう。
現代に生きる私たちも人間は偏見をもつ生きものであることも、ハンディを抱える人がいることも知っています。だからこそ、日本橋の一等地に店を構え、吉原の価値を高め、生まれ育ちと人の値打ちが無関係であることを証明しようする蔦重が一筋の光のように思えるのです。蔦重が未来に力強く立ち向かう姿に希望を託した視聴者は多いはず。
育ての親である市右衛門から見れば吉原におんぶに抱っこ状態だった蔦重。蔦重は日本橋進出を機に吉原という安全基地から離れ、自立した一個人として一歩踏み出すのです。
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