「障害があってよかった」なんていえない。それでも11年間で、この子が私を変えてくれたこと【体験談】

2025.08.31 LIFE

「次男が私を変えてくれた」

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障害児の母となり、間もなく11年。次男は小学5年生になりました。

「よく、『この子は、ママを選んで産まれてきたんだよ』なんて言葉を耳にします。過去に命を断とうと考えていた時期には、実はこの言葉が救いになったんです。私が生きる意味を感じて、この世に踏みとどまらせてくれました。

でもね、今は『その言葉ってどうなのかな』って、正直思います。次男のことは、かわいい。でも、もし私に選択権があったなら、きっと定型発達を選んだでしょう。『ママを選んだからここにいるんだよ』といわれても、私も息子も、障害を望んだわけではないんだけどな、って」。

言葉の受け止め方も、見ている世界の解釈も、時の流れや境遇とともに大きく変化せざるを得なかった日々。そこには、簡単に障害を『乗り越える』『全肯定する』とは言い難い正直な気持ちが見え隠れします。それでも揺らがないのは、『次男は私の考え方を変えてくれた存在』というまどかさんの思いです。

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「周囲の大人が理解に苦しむような行動を次男が取った時、以前なら私の価値観を押し付けて、『そういうのはやめて』って考えていたかもしれません。でも、その行動や言葉には、その子なりの理屈や理由があるんですよね。子どもの目線に立って考え、理解しようと努力する――そんな姿勢は、次男を生んでから圧倒的に鍛えられた気がします。

こちらが『これをしたらダメだよ』とルールを伝えたい時も同じ。『あなたが危険にさらされるから』『こういう不具合が起こるから』という説明を与える必要がある。

自分の親からは『周りに怒られるから辞めなさい』と叱られてばかりだった私が、自らが育てられてきたのとは全く違う方法で、子ども目線での育児を獲得することができたんです。それもこれも、専門家とともに育児を学べたからだと思います」。

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そして、次男がいたからこその変化がもう一つ。障害がわかって以来、「周りとのつながりが強くなった」と感じているのだといいます。

「障害児の親が一番気がかりなのは、果たしてこの先に我が子の居場所があるのかという点です。親にケアが集中すれば働きにも出られませんし、多くの場合、親の方が先にこの世から旅立ってしまいますから。その心配事を何とかできないかと、今は同じ境遇の親御さんと、障害のある子が安心して過ごせる居場所作りのために、私たちに何かできることはないかと話し合っているところです。

私はもともと、人が集まる場所に行ったり、話しかけたりするだけで、ものすごく疲れてしまう人間。次男がいなければ、この私がネットワークを広げて、人と手を取り合いながら前向きなアクションを続けるだなんて、きっとなかったはずですから」。

 

 

家族全員が、好きなように生き続ける未来へ

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副業や保護者同士での意見交換など、明日へと向けた布石を打ち続ける現在地。さらなる未来を、まどかさんはどう描いているのでしょう。

「まずは、長男が高校を卒業するまでは、東京で暮らし続けたいですね。同時に、次男が専門の施設で安心して暮らせるような準備を整えたいとも思っているんです。既に何か所か見学にも行きました」。

小学5年生の息子の入居施設を検討する――その境遇にない立場からすると、だいぶ早い動きに思えますが、まどかさんにとっては「決して早すぎない準備」のようです。

「最近はよく『きょうだい児』なんて言葉で、その現実が注目されつつありますが、長男にはその類の苦労を押し付けたくありません。もちろん、負担をゼロにはできませんが……それでも、私ができることは今のうちにしっかり準備して、長男にはとにかく自分の人生を楽しんでほしいんです」。

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だからといって、まどかさんが負担を一身に背負うような自己犠牲精神に身を浸しているわけではありません。かつて追い詰められた「人生の岐路」で選び取った「自分の思うように生きる人生」のために、自身の未来もまたカラフルに描いています。

「次男の居場所が確保できたら、仕事をもっとしたいし、自分の時間も楽しみたいですね。今興味があるのは、手相占いの勉強!なんだか面白そうじゃないですか。稼ぐためでも、役立てるためでもなく、人生に遊びを見出しゆったり学ぶ……それができたら、こんなに嬉しいことはありませんね」。

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