江戸の「人相見」ブームがすごかった!歌麿『婦人相学十躰』に隠された占い騒動と“開運ビジネス”の真実

2025.11.11 LIFE

*TOP画像/大当開運(太田光) 人相見(田中裕二) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」42話(11月2日放送)より(C)NHK

 

「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」ファンのみなさんが本作をより深く理解し、楽しめるように、40代50代働く女性の目線で毎話、作品の背景を深掘り解説していきます。今回は江戸時代における「人相見・占い」について見ていきましょう。

本編解説はこちら▶▶歌麿の切ない恋、そしてていの命がけの出産。崩れゆく夢と愛が交錯する【NHK大河『べらぼう』第43回】

 

江戸時代は人相学ブーム

本作には、評判の人相見・大当開運(太田光)が耕書堂に特別ゲストとして登場しました。訪れた客の人相を見て、「婦人相学十躰」の販売促進に努める姿が印象的でしたね。

 

当時、人相学はブームであり、顔の特徴や相に関する本は多く出版されていました。江戸時代における人相学の達人といえば、水野南北。彼は門弟が500人もいる有名な人相学者です。

 

南北は人相見になるために一生懸命努力しました。髪結床の丁稚として3年間にわたり人の頭や顔を観察し、銭湯の下働きとして3年間にわたり人の体を眺め、火葬場の作業員として3年間にわたり亡魂の顔を見つめたとされています。彼は客に対して適当なことを言っていたわけではなく、きちんとした訓練を積んだ上で見解を述べていたのです。

 

江戸時代にも盛り上がり、現代においてもある程度信じられている人相学ですが、古くは医学の祖と称されるヒポクラテスからアリストテレスの時代にまで歴史はさかのぼります。

 

また、日本においては、豊臣秀吉が少年時代にお坊さんから「天下取りの人相だ」といわれた話が『太閤記』に記されています。

 

相学ブームの中で生まれた歌麿の「婦人相学十躰」とは?

本作において、市中の女性を描いた歌麿(染谷将太)の「婦人相学十躰」が江戸で話題を呼んでいました。そうした中、この絵と人相見の見立てでは違いが生じ、客とトラブルになることもあったといいます。開運先生の仲間が“相学の文言を使うな” “相の字を書き入れんな”と蔦重(横浜流星)に抗議したというシーンもありました。

 

史実においても、歌麿の「婦人相学十躰」について相学関係者からの批判や抗議があったらしい…。詳しいことは分かっていないものの、「婦人相学十躰」が「婦女人相十品」と改名されたことや、10図の予定が8図で終了していることも、相学関係者とのいざこざが原因といわれています。

 

歌麿は「婦人相学十躰」において8名の女性を描きましたが、この絵には女性の感情が繊細に表現されており、それぞれに個性がしっかりと与えられています。

 

例えば、重要文化財に指定されている「浮気之相」には着物の胸元がはだけ、ほてった顔が麗しい女性の姿が、歌麿の絵の中でもよく知られている「ビードロを吹く娘(ポッピンを吹く娘)」には桃色が入ったかわいらしい着物を着て、ビードロを吹く娘の姿が描かれています。

 

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