「残念ながら乳がんです」40代人気スタイリストが告知を受けてから約3カ月。ただ一度涙した日の「意外な理由」は

こんにちは、スタイリストの大日方です。普段はただひたすらに「服が好き!」という目線でトレンドやおすすめをリコメンドしています。今回は2025年11月末にわかった乳がんの話。

【RICOリコメンズ/働く女性のコーデ】前編

 

「私が死んだら、娘はどうするのだろう」

母が47歳の頃に乳がんが見つかり手術していたことから、私も40代になってから乳がん検診を1年に1度受けてきました。乳腺が多くてがんが映りにくい胸なので、マンモグラフィーとエコーどちらも受けるようにしていました。

 

2025年3月の乳がん検診で左胸に怪しい影が見つかり、細胞診を受けることになりました。クリニックで麻酔をして太い針で細胞を採取して、家に帰りました。

 

何を考えたらいいのかわからなくて、録画した歌番組を観ながら洗濯物をたたんでいると、麻酔が切れはじめて、胸がちりちり痛み出しました。急に「病気になることは痛いことなんだ…」という恐怖が襲ってきて、涙が出ました。それでやっと、怖かったのだとわかりました。泣いたら少しすっきりしました。

 

細胞診の結果がわかるのは2週間後。それまで、自分の人生の棚卸しのようなことを始めました。

 

乳がんで死んだらどうしよう? 娘のことが心配?

 

でもそのときに思ったのです。娘に伝えるべきことはだいたい伝えてある。たぶん私がいなくても娘はちゃんと生きていけるだろう、と。そう思うとすとんと気持ちが落ち着きました。

 

細胞を採った左胸は紫色から黄色になり、徐々に肌色に戻っていき、ちりちりとした痛みは日を追って落ち着いていきました。覚悟を決め、左胸の細胞診の結果を聞きに行くと、結果は陰性でした。なーんだ!焦って損した。半年後にもう1度乳がん検診を受けるように言われたので手帳に10月乳がん検診と書き込みました。

 

半年後の10月、もう一度軽い気持ちで乳がん検診へ出向くと

10月に再びクリニックに行くと、今度は右胸の小さな影が増えているので再び細胞診を受けた方がいいと言われました。エコーには映らない影だったため、マンモグラフィーを撮りながら細胞が採取できる大きな病院を紹介されました。

 

大きな病院で細胞を取ってもらったのが11月に入ってからです。麻酔をして、マンモグラフィーで胸をぺちゃんこに潰しながら細胞を採取するのですが、表皮に近い部分のため、生理食塩水で表皮と組織の間に隙間を作ってから採取するとのことでした。

 

看護師の皆さんの連携が素晴らしくて、プロフェッショナルって格好良いななんて思っているうちに細胞採取は終わっていました。小さな三角形の傷が残ったのみで、ほとんど痛みはありませんでした

 

予行演習のようだった娘の言葉。がんの告知は意外に冷静に受け入れることができた

左胸の細胞診の結果が出るまでの2週間でジタバタしても結果は変わらないと学んだので、右胸の細胞診の結果が出るまでは平常心で過ごすことが出来ました。細胞を採る際にほとんど痛みがなく、傷が小さかったのも平常心で過ごせた理由だと思います。

 

結果を聞きに行く前日、娘に「細胞診の結果どっちだと思う?」と聞いたら「がんなんじゃない?」と言われました。私の母も40代で乳がんを患っていて、半年前の検診でも一度乳がんの疑いがあったのだから今回はやはりがんが見つかるんじゃないか、と言われました。それを聞いて私もそうだよなぁと思いました。

 

実際に医師から「残念ながら乳がんです」と言われたときも、やっぱりそうかとすんなり受け入れることができました。

 

幸いだったのは、ステージ0と呼ばれる初期の乳がんだったことです。乳管にできた乳がんは乳管から染み出た状態で発見されることが多いけれど、私の乳がんはまだ乳管の中におさまっている状態だと説明を受けました。ただし初期だからといって範囲が小さいとは限らないとのことでした。

 

もしも「遺伝的に女性がんになりやすい」場合、左乳房も摘出すべきか…?

悩みの種となったのは「BRCA1/2遺伝子検査の結果が陽性だった場合どうするか?」です。がんの発生を抑える働きがあるBRCA遺伝子に変異があると乳がん・卵巣がん・前立腺がんに罹患する可能性が高くなるのだそうです。

 

アンジェリーナ・ジョリーは母を乳がんで亡くしていて、BRCA1/2遺伝子検査が陽性だったため、乳がんになっていない胸を全摘したことで知られています。祖父が前立腺がん、母が乳がんになっているので、私もBRCA遺伝子に変異がある可能性があり、血液検査を受けました。もし、BRCA1/2遺伝子検査が陽性なら保険適用で乳がんになっていない乳房も摘出することができると説明を受けました。

 

そこから、遺伝子検査とMRIの結果がわかるまでに2週間ほど、もしBRCA1/2遺伝子検査の結果が陽性だった場合は胸を全摘するか? その場合は乳首を残すか? 考えていました。

 

どちらのほうが後悔しないだろう? どちらがより自分らしい選択なんだろう? 

 

どうしたいのかは自分で決めるしかありません。私は、10年後には切らない乳がん治療が標準治療になっている可能性もあるのでは?と考えました。全摘した5年後10年後に後悔するような気がして、遺伝子検査の結果が陽性だったとしても乳房温存の治療を受けようと心に決めました

 

全摘しても再発の可能性はゼロではなく、定期検診は不可欠であること。そして、母も47歳のときに乳房温存の治療を受け、再発することなく今も元気、というのも乳房温存を望む理由でした。乳房温存なら入院は3泊4日、全摘なら最大2週間。3泊4日なら仕事もあまり迷惑をかけずに済むだろうと、そのときは考えていました。

 

むしろ心の置きどころが見つからなかったのは「手術範囲がわかってから」だった

12月中旬、MRIの結果と遺伝子検査の結果は同じ日に聞くことになっていました。MRIの結果は、思っていたよりもがんの範囲が広く右胸は全摘する必要がある、がんは乳管をつたって乳首まで広がっているので乳首は残せない、そしてマンモグラフィでわかっていた外側の影のほかに内側にも新たな影が見つかった、というものでした。

 

心配していたBRCA1/2遺伝子検査は陰性で、左胸は残すことになりました。初期の乳がんだから小さいとばかり思っていて、右胸を丸っと失うと思っていなかったので、乳がんがわかったときよりもショックが大きかったです。

 

MRIの結果が分かってから、心の置き所がわかりませんでした。右胸を失うことを悲しむべきか、早期発見でラッキーだったと喜ぶべきか、右胸なんてなくても平気と強がるべきか。

 

これまでの経験や知識や全てを総動員して、自分らしい選択はなんだろう?と考えていました。ひとつめに「病気を隠さない」と決めました。友人に話を聞いてもらうと気持ちの整理ができて楽になりました。

 

家族にもお仕事で関わりがある人にも病気のことを伝えました。私の性格には合っていたと思います。ふたつめに決めたのは「右胸を全摘して左右のバランスが悪くなっても、これまでと変わらず好きな服を着る」ということでした。

 

今回、私は乳房再建を希望しませんでしたが、後から再建することもできるそうです。年末には家族旅行の予定があったので、手術の日まで1人で悩んだり落ち込んだりする暇がありませんでした。

 

主治医は長い付き合いになる。「合う・合わない」の感覚は大切にしたほうがいい

担当医の先生は「新たに見つかった影の細胞診や抗がん剤治療を受けてから手術するという方法もあるけれど、範囲を考えたら全摘にすることになるし、初期なので先に手術してしまっていいと思う」と提案してくれて、その治療方針が私にはしっくりきました。

 

先生に「年末は旅行に行くのでその前に術前に必要な検査を終わらせたい」と伝えるとスケジュールを組んでくれました。「どこに行くんですか?」と聞かれたので「ロサンゼルスです」と答えました。「何しに行くんですか?」「遊びに…ブルーノ・マーズを観てきます」と言うと「え僕、東京ドーム行きましたよ! もしかして1月のレディ・ガガも行きます?」「行きます!」というわけで、担当医の先生と同じ日に同じライブを観に行くことが判明。「行っていいんですけど、傷だけ気をつけてくださいね」とのこと。

 

退院してすぐライブなんて行ったらダメかな……と心配だったので、不安をひとつ解消することができました。若くてノリが良く、先生っぽくない先生ですが(褒めています)、考え方がシンプルで波長が合うと思いました。

 

私はたまたま1人目で合う担当医に会えましたが、合う・合わないの感覚は大事にしたほうがいいと思います。ひとりひとり症状も違う、治療には色んな選択肢があり、色んな考え方の先生がいます。自分の体なのだから最善と思える方法で治療を受けた方が良い。信頼できる人に任せるのが良い。手術した後も長い付き合いになります。

 

全摘と伝えたところ、父からも夫からも「セカンドオピニオンは受けなくて良いのか?」と聞かれましたが、私はこれ以上に合う先生はいないだろうと思いました。

 

手術で休みをとることになった。はじめて泣いた、それはうれし涙だった

全摘がわかってショックだったのは、テレビスタイリストの仕事を休まなければいけないのも理由のひとつでした。乳房温存なら3泊4日で済みますが、全摘の場合は入院期間は最大で2週間になります。悔しいけれど休まない訳にはいきません。

 

すぐマネージャーさんに連絡し、誰に代わってもらうか調整してもらうことになりました。相談の結果、体に無理のないようにと1ヶ月お休みさせてもらうことになりました。

 

スタイリングを担当している方に連絡すると「いつも可愛い衣裳をありがとうございます。大日方さんが元気で戻ってくるのを待っていますね」とメッセージをもらい、嬉しくて嬉しくて、温かい涙が出ました。

 

つづき>>>自己肯定感の低かった私が、乳がんを経験してやっと本当に理解できた「いちばん大切なこと」とは

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