親の延命治療、決められますか?遺された人に「判断の十字架」を負わせないために、今のうちからできること

2026.03.29 LIFE

最近、親御さんの背中が小さくなったな、と感じることはありませんか? ふとした瞬間に「もし今、親が倒れたら……」と想像して怖くなってしまうこと、ありますよね。いざという時、医師から「延命治療をしますか?」と問われたら、私たちは冷静に答えられるでしょうか。親の命の期限を、自分の言葉で決める。それはあまりにも重く、辛い決断です。

「人生100年時代における家族に頼らないおひとりさまの終活」を支援してきた司法書士の太田垣章子氏は、自身の経験から「人生の最期の決断を、家族にさせてはいけない」と語ります。

本記事では「終活の前に40代から準備しておくこと」をまとめた太田垣氏の著書から、遺された側の経験談や、“今のうちからできること”をご紹介します。

※本記事は書籍『「最後は誰もがおひとりさま」のリスク33』(太田垣章子:著/ポプラ社 )から一部抜粋・編集したものです

 

いざという時、どこまでの治療を受けるか決めた方がいい?

日本人はとかく「お金のことを口にするのは、はしたない」「死ぬ時のことを話すのは、縁起が悪い」そう刷り込まれてきた気がします。それが「老後2000万円問題」を発端に、国民一人ひとりがそれぞれ自分の老後のお金を貯めなければならないということを自覚し始め、それに関連して「投資」という単語もかなり一般的になりましたね。同時に「終活」という言葉も、かなり浸透したと思います。

それでもまだ、いずれ自分も認知症になったら……と弱ってくることを受け入れられない人が多いのも、先の刷り込みの話からすると、仕方がないことかもしれません。

 

ある日突然、植物状態になった父。家族の判断は

私の父は、「自分は死なない」「自分はボケない」と豪語していました。父は、確かに体力がありました。鍛錬もしていました。10階くらいまでは若い頃からエレベーターを使いませんし、孫を抱くと胸筋が発達して家族を驚かせたくらいです。父が自分は「死なない」と言うと、あり得ないと分かっていても「もしかして……」と思わせるくらい、生命力がありました。そんな父にも、ある日「突然」がやって来ました。

40年ぶりに旧友と自宅で囲碁を打つと、父はわくわくしながら昼食をとりました。しっかり食べて、そろそろその友人が到着する、という段階で父はソファでうたた寝です。猛烈商社マンだった父は、どんな場所でも一瞬で爆睡し、「だから闘える」と自慢していたほどです。そのため母もいつものことと、気にしていませんでした。

待ち焦がれたお相手が来られた時、父は目を覚ましませんでした。そこで初めて母が異変に気が付きます。せっかくのお客様は家にも上げてもらえず、そのまま心配な思いを抱えて帰路へ。父は救急車で病院へ運ばれました。診断は脳幹梗塞。即死の方が多い中、一命は取り留めたものの、父の脳は真っ黒の状態に。いわゆる植物状態になってしまいました。ここで私たち家族は医師に問われます。

「脳はもう何も感じない状態です。脳が復活することはありません。コミュニケーションを取ることもできません。このまま何も治療しなければ、2、3日だと思います。どうしますか?」

私はもう回復しないなら、このまま逝かせてあげたいと思いました。本人も楽しいとか嬉しいといった感情を、抱くことができません。機械に繫がれ、ただ死んでいないだけの状態。それはあまりに辛いだろうと思ったからです。

姉は、機械に動かされているとしても、生きていてほしい、そう言いました。本人の予めの意思表明はなく、家族で意見が分かれると、医師は生かす方向にしか動けません。責任を問われるのが、怖いからです。そうして父の植物状態生活は、始まりました。

病室に行くと、父はいろいろなものに繫がっています。機械の音が聞こえ、もちろん父に触れても、声をかけても反応はありません。ただ機械のしゅー、しゅーっという音が聞こえてきます。医師は「本人は何も感じていない」と言いますが、父の顔は険しいものでした。それを見るたびに、父を生かすことが正解だったのか、という思いが頭から離れませんでした。

3ヶ月くらい経った頃だと思います。母が「これがいつまで続くんやろ……」そうつぶやいたのです。ゴールが見えないため、不安になるのは分かります。でもそれだけは言ってほしくない言葉でした。生かしてしまったのは、他でもない、私たちなのですから。

 

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