「安い国」になってしまった日本を支える「技能実習」という搾取システム、その不条理さの内訳は
円安効果もあり、日本は空前の「安い国」になりつつあります。輸出力が高まるため歓迎される側面もある円安ですが、コロナ禍と世界的政情不安定が逆風となり、残念ながら日本にとってよい状況とは言い難いようです。
そんな中、「安さ」を下支えしてきたさまざまな要素の不条理さと不安定さが浮き彫りになっています。
もしかしてこのままではこの国は立ちいかないのではないだろうか。その漠然とした不安に一つの答えを出してくれるのが『アインが見た、碧い空。 あなたの知らないベトナム技能実習生の物語』(近藤秀将・著 学而図書・刊)。
出版元の学而図書はいわゆる「ひとり出版社」であり、経営者であり編集者である笠原正大さんがひとつひとつの社会テーマと向き合いながら書籍を刊行しています。笠原さんがひとりの読者として本書をひもときながら解説します。
(文/笠原正大・学而図書)
技能実習制度があるから「安い商品」が存在している。「安い労働力供給」の矛盾
このところの物価高で、スーパーで目につく商品はどれも値上げが相次いでいます。レジで支払う金額に「前より、ひとまわり高い……」と、ため息をつきそうになることもたびたびです。電気代やガス代の高騰もかなりのもので、ポストに投げこまれた請求書の数字に、血の気が引くような思いをすることもあります。
なかなか歯止めのかからない円安で、海外からの輸入品は何もかも高くなり、世界情勢が影響して、天然ガスや石油といったエネルギー資源の価格も混乱するばかり。これでは値上げも仕方ない、と頭ではわかっていても、さびしい懐具合を思えば切なくなってしまうのが、私のような消費者の複雑な気持ちです。そんな思いを受けとめてか、スーパーや商店、そして商品をつくる企業が、なんとか価格をおさえようと苦闘している様子が、ニュースなどで日々伝わってきます。
いまにして思えば、こうして日本に住む私は、いつでも、どこでも「安くて良い商品」を買えて当たり前だと思いこんでいたのかもしれません。新鮮でおいしい野菜や魚、肉類が、だれでも手にとれる価格で棚に並んでいる光景にたいして、以前の私は疑問をいだくことなどありませんでした。そうやって生きてこられた理由のひとつは、いまこの瞬間もつづけられている、お店や企業の方々の販売努力、企業努力にあることは間違いないでしょう。
その一方で、最近になって私がはじめて意識したのが、こうした「安くて良い商品」をつくる現場で働く、「技能実習生」たちの存在です。そのきっかけは、ベトナム国立のフエ科学大学で特任教授をつとめている、近藤秀将先生との出会いでした。
近藤先生は、ベトナムで大学生のキャリア指導にあたるかたわら、日本から帰国した元・技能実習生の再教育プログラムにも熱意をもって取り組んでいる人物です。国際的な防災研究の学会でお会いして以来、私は近藤先生から、技能実習生たちが日本の社会で果たしている役割や、実習の制度が引き起こしてきた問題について、さまざまなお話をうかがう機会に恵まれました。
そこで耳にするまで、私は恥ずかしながら「技能実習生」と自分の生活の関係など、まったく気にもしていませんでした。しかし、すでに日本の「安くて良い商品」をつくる現場では、外国からの技能実習生たちの存在が、なくてはならないものになっているといいます。たとえば、きつい重労働で、しかも賃金の低い農作業の現場に、もはや日本人は応募してきません。それは、ものづくりの工場や、介護の現場であっても同じことだというのです。
こうした現場では、日本人よりもはるかに安い賃金で、主にアジア各国からやってくる技能実習生たちが、いわゆる単純労働を担っています。この若者たちがいなければ、私たちがいまの値段で、安定した量の野菜や製品を手に入れることなど、とてもできないのでしょう。
コロナ禍で技能実習生が来日できなくなると、たちまち現場は人手不足に陥り、農作物などの生産量の低下が危ぶまれるようになりました。海外から日本への入国開始のタイミングについて、技能実習生を優先させようという動きもニュースになっていましたから、ご存じの方も多いのではないかと思います。私たちの生活は、私たち自身が知らないうちに、海外から働きに出てくる技能実習生たちによって支えられるようになっていたのです。
「単なる出稼ぎ」である現実と、「実習」という建前の乖離
まだコロナ禍のはじまる前、2019年の段階で、技能実習生の数は40万人を超えていました。その数だけから見ても、実習生たちが、あらゆる分野の労働力として重要な人材となっていたことが私にも想像できます。
いまや技能実習生たちは、日本経済を縁の下で支えている存在ともいえます。しかし、彼ら・彼女らが、どんな思いでこの制度に参加し、日々どんな仕事をこなし、実習期間を終えたあとはどうなるのか、といったことに、私を含めた当の日本人は、ほとんど関心を寄せないまま暮らしてきたのではないでしょうか。
近藤先生が特任教授をつとめる大学のある都市・フエは、ベトナム中部にあります。1945年までグエン朝(阮朝)の首都でもあった古都・フエは、観光資源に恵まれた街です。しかし、経済発展のつづくハノイやホーチミンとくらべると、就職口は乏しく、賃金もかなり低くなってしまいます。このフエも、多くの実習生を日本へと送り出している街のひとつです。
ベトナムで技能実習生になるためには、まず現地の「送り出し機関」に、多額の(ときに100万円ほどにもなるそうです)仲介手数料を支払わねばなりません。年収が30万円ほどといわれるフエでは、この金額はあまりにも大金です。多くの志願者は、この手数料の支払いのために、かなりの借金を背負うことになります。
それでも、「成功」すれば300万円の貯金すら可能といわれる技能実習制度のことを、現地の一部では「ジャパニーズ・ドリーム」と呼びさえしているといいます。そして、現地の名門大学の卒業生までもが、次々と実習生に志願している、という現実があるそうです。
本来なら、大学を卒業したばかりの人は、技能実習に参加することができません。制度には、母国での仕事を日本でも学び、それを帰国後に活かす、という約束ごとがあるためです。しかしながら、一定数の技能実習生が、大卒であることを隠し、偽りの経歴で制度に参加していることが、すでに広く知られつつあります。
これは明らかな虚偽申請ですし、いちど嘘をついて入国してしまえば、実習生本人も将来的なリスクをかかえることになるでしょう。それでも、フエのあるベトナム中部では、大卒者として地元企業に就職するより、偽りの経歴をもとに日本で技能実習生となったほうが、はるかに多くの賃金を得られるのです。そのために、本来の学歴・経歴をまったく活かせない実習に参加するベトナム人学生は、あとを絶ちません。
日本のかかげる建前とは、明らかに目的のずれている若者たちが、技能実習制度には数多く参加しています。おそらく、実習生たちの本当の目的が「出稼ぎ」にあるなら、それでも問題はないのでしょう。結果として、日本側も必要な労働力を確保することができるのですから、お互いがすれ違いに目をつむったまま歩んでいくことも、何となくできそうな気がしてしまいます。しかし、そこには大きな問題がある、と近藤先生はいうのです。
実習先には「当たりはずれ」もある。結果的に起きてしまうこととは
もっとも目に見えやすく、明らかな問題は、実習生を受け入れる企業の「当たりはずれ」だと考えられます。海外からやってくる実習生を、家族のように受け入れ、温かく迎えようとする企業がある一方で、使い捨ての人材として酷使し、ハラスメントの横行する過酷な職場も、一部ながら存在しているからです。
劣悪な環境に送りこまれてしまった実習生のなかからは、失踪という非常手段を選ぶ人もあらわれます。そうなれば、返せなくなった借金をかかえ、貧困状態に追いこまれることもあるでしょう。しかも、日本の在留ベトナム人には永住者が少なく、リアルよりもSNSで緩やかにつながっているコミュニティは、社会基盤として見れば脆弱です。こうした状況のもと、貧困の結果として、犯罪に手を染める者もあらわれます。
いま、日本政府のなかでも、技能実習制度の見直しが検討されはじめています。そして、制度に向けられた批判の多くが、こうした悪質な受け入れ企業での奴隷的な労働環境や、仲介事業者への借金をかかえ、転職も許されないなかでの強制的な労働、という側面に向けられているようです。
技能実習という制度については、アメリカ国務省までもが、人身売買に関する報告書でくりかえし問題視しており、海外からも厳しい視線がそそがれています。この報告書にある「強制労働」という表現は、上記のような技能実習の負の側面を指したものといえるでしょう。
もちろん、実習生が失踪する理由のすべてが、過酷な労働環境にあるというわけではありません。また、悪質な職場はあくまで一部であって、多くの企業では、良識的に実習生を受け入れています。それでもなお、存在する悪質な環境を改善し、そこから生まれてしまう負の連鎖を断ち切ることは、制度の実施国である日本側にとって、なにより重要な課題だといえるはずです。
しかし、技能実習制度の本質的な問題とは、実のところ、こうした目に見えるものだけではありません。見すごされがちですが、「当たり」の職場に配属され、計画どおり多くの金銭を手にした実習生たち、つまり「成功組」となった若者たちもまた、見えない負の資産を背負ってしまう、と近藤先生は指摘します。
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