梅宮アンナ、がんになり、肺炎にもなった私が願うのは「自分の病気のことを誰もが言い出せる社会」

こんにちは、梅宮アンナです。私は現在、ステージⅢAの「浸潤性小葉がん」を治療中です。私の治療は「AC療法」「パクリタキセル」2種類の抗がん剤から始まり、手術、放射線、ホルモン剤とフルコースで予定されていましたが、報道もされている通り、最初の「AC療法」が終わった時点で肺炎にり患して入院を余儀なくされました。

 

【独占連載「アンナの日々」#4】前編

 

抗がん剤4回目が無事に終わりました。次のステップに進みます!

私の体は「AC療法」で思ったよりもダメージを受けていたようです。「AC療法」が終わり、次の抗がん剤、「パクリタキセル」に進む前々日になって突如として高熱が出て、そのまま緊急入院となりました。慎重な検査を経て「ニューモシスチス肺炎」(かつてカリニ肺炎と呼ばれていました)という、免疫機構がとても弱っている場合に出る肺炎だと診断がおりて、およそ2週間ほど入院して治療を受けました。

 

この入院は本当に不安で、来る日も来る日も泣いて過ごす日々でした。40度の高熱が続く肺炎で体もとても辛いのですが、それよりもメンタルがつらくて、つらくて。この入院の不安、しんどさの話は次回にするとして、今回は肺炎になるまでの「AC療法」のお話を先にまとめます。私はあとに続く人のためになるべく詳しい記録を残しておきたいので。

 

さて、「AC療法」の途中から私が直面したのは、「がんの治療期間はとっても長いんだな」という事実でした。「長いよ」と教えてくれた人がいなくて(笑)。こういう治療がずっとずっと続くんだな、長いなと再認識しました。おかげさまで「AC療法」が終わった時点でのエコー検査では、わきのリンパ節転移部分が小さくなっていました。乳房のむくみも取れ、現在は乳房内にがんだけが残っている状態です。しんどい4回の抗がん剤治療はがんの進行も止めてくれました。

 

私の場合、「AC療法」では抗がん剤そのものの副作用はさほど感じず、辛かったのはメンタル部分でした。自分のメンタルをがんに立ち向かうテンションに持っていかないと気持ちで負けてしまうのです。登山に例えると、山を見て「無理じゃん」とすごすご帰るのか、「イケる!登ってみようかな!」という違いです。私は「覚悟の人」と言われますが、がん治療という山を見て「登ってやる」と決められたのは、医師の手厚い助けを信じる気持ちと、自分の内面を奮い立たせる気持ちが重なった結果でした。

 

「AC療法」は、1日目に血液検査、2日目に抗がん剤、3日目に「ジーラスタ」という白血球を回復する注射というパターンで進めました。この、ジーラスタがとにかく辛かった。体内の血液をつくる骨髄の機能を猛烈な力で回しているので、なんとも言葉にしがたいのですが「骨髄が痛い」。

 

腰回りに痛みが出る人が多いそうなのですが、私は正面の胸の奥が痛くて。聞いたらこの胸骨が腸骨と並んで強く働くそうなので、私の痛みには理由があるんだなと理解できました。知ることは大切です、なぜ痛いのかがわからなった時期は「がんの痛みなのかもしれない」と暗い気持ちになっていましたから。

 

胸間がぎゅーっと締め付けられる痛みです。みぞおちから喉元まで押し上げられるような、握りつぶされるような、その痛みが胸間から喉元から後頭部まで突き抜けます。突然ウッとこの痛みが走り、心臓が止まるかと思うような状態が2~3分続きます。本当に突然くるので、怖くて外に出るのもやめたくなってしまいます。握りつぶされる、後頭部まで突き抜けてくるような痛みが怖いのです。

 

投与3回目と4回目でこの痛みが出た日が違いました。投与前日と当日は体から抜けているのでいちばん元気で、投与日から辛い人もいれば、3~4日目がつらい人もいます。今日の私は投与4日目、体力3割くらいの感じ。回復して元気になって、抗がん剤で下げられて、ジーラスタで強引に上げられての繰り返しで疲れる、「がんって疲れる」とはこういうことだとわかりました。

 

髪の毛も、抜けるときの痛さがあることを知りました。ひりひりと表現する人もいるけれど、私は髪をゴムで結んだまま一晩寝てしまい、次の日とるときのあのもわーっとした痛さだと感じます。これも、人それぞれ感じ方が違うんですね。髪の毛が抜ける瞬間自体にも痛みがありました、かきあげると痛いんです。でも、抜けてしまうとシャンプーやブローがとんでもなくラクになり、出かけようと思ってから5分で準備が完了するようになりました。一見して不幸なことも大抵は悪い側面だけではなく、何かしらいい面も表裏一体で見つけることができるんだなと思っています。

 

「病気なんです」と言い出せない日本はしんどい。現状を変えたい

「AC療法」の最中、地元を歩いていると毎日2~3人の方から声をかけられました。「アンナさん、いつも見ています、がんばってください」って。みんながこれを言い出せることが私は嬉しい。中には勇気を振り絞って、それこそ震えながら声をかけてくださった方もいらっしゃいますが、どんな方も私に対して「私も経験しました」と言いだせるようになったことが嬉しい。

 

私の場合は、がんにかかりましたと公表することで、周囲が変わりました。公表する前とはお友達の顔ぶれも違います。私にかけてくださる言葉の中で、いまいちばん自然だなと感じる反応は「言葉を失う」です。「かける言葉がないけれど」という正直な気持ちに嘘のなさを感じてすっきりします。

 

私がり患を発表して、「頑張って、大丈夫だよという言葉がつらい」と発信したときは、まだ抗がん剤治療が始まっておらず元気で、マインドも違いました。だから「近い未来の約束」、「元気になったらゴルフに行こうね」という反応がいちばん嬉しかった。でもいまは闘病に疲れていて、ゴルフに行きたいとも考えられなくて(笑)。このようにメンタルも刻々と変化しています。

 

がんにかかったと言いだせず、家族にすら言い出せずにしんどい思いをしている人がまだまだきっといますよね。私の言葉で世の中がすぐ変わるわけではないけれど、思いを口にしていいんだと受け止めてくれる人はいるのではないかと思います。私なんて、こんなに言ってもまだ自分の病気に悶々としてるのに、一人の心にしまって闘病するだなんて、どれだけしんどいかと思います。

 

私は自分の状態がどのようであっても口にできてしまう、失うものがない人です。新しい世界に飛び込みたかったから「がんにり患しました」と公言できました。でも、一般的な芸能人はまだまだ自分が病気であるとは言えないかもしれません。仕事を失う可能性があるし、理不尽な扱いがあるかもしれないから。だとしたら、それがどのような業界であっても、あまりよい社会のあり方ではないですよね。

 

もうひとつ、もともと日本人の持つ美徳である「我慢」も「言い出しにくさ」の背景にあるでしょう。余計なことを言わず、迷惑をかけないことが尊いとする風潮です。さらには「あの人は病気なんだって」という目で見られたくないという気持ちも影響しているかもしれません。これらも私はあまり正しいとは思えていません。とはいえ、この気持ちもまた変わるのかもしれません。

 

つづき>>>同時に、自分の病気のこと、体のことをきちんとわかって、説明できる自分であることも必要かもしれない。たとえばこんなふうに

 

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