どうして小6の娘と母親はこれほどまでに「かみ合わない」のだろう。たった一つ私が気付いた「当然の理由」は
親がどのような世代であれ、いずれ到来するのが「性的なことを子どもに教える」シーンです。どのような行為によってなぜ受精し、どう出産に至るのか。女性や男性が固有に持つリスクとは何か。自分を、大切な人を守るため、私たちは何に気を付けるべきなのか。
教えなければならないことはたくさんあるいっぽう、「急に質問されたから心構えがなくてごまかしてしまった」「恥ずかしくて答えられなかった」という声も多いのが実情です。そんな中、意思を持って「子どもと性」に取り組んだママたちは、どのような準備をして、どのようにそのシーンを迎えたのでしょう。
前編記事『小6の娘と「性」について向き合ってみて「親としての役割を手放していく」寂しさに直面した。きっとこれが「母が最後に娘に教えること」』に続く後編です。
【小学生の子どもに性をどう教えるか#3】後編
完全に娘の目線まで体を近づけることで、娘が私に歩み寄ってくれる
うんうん、それどうして知ったのお母さんも知らなった。こう答える母親に「私が教えてあげるよ」と、ちょっと自慢気な気持ちになってくれるのが大事だなという経験を、最近私は別の関わりでもしていました。思春期に入ったリサと会話がしづらくなり、あまりにもいつもケンカになるので、違う態度で目線を合わせてみようと、55歳にもなってリサが熱中しているサッカーを私も始めたのです。
リサのいいところが私から見えにくくなってしまったので、彼女のいいところは何だろうと改めて考えたのです。私がいちばんカッコいいと思うのがサッカーの試合に挑むリサでした。何度も感動させてもらったから、自分も同じフィールドで彼女のいいところを改めて見てみたいなと。
実際始めてみると、思いのほかリサが「お母さん、そんなこともできないんだ、教えてあげるよ」と歩み寄ってくれます。「今日の試合、すっごい押されて、ひじでこづかれたんだけど、何あれ?」「そんなの普通だよ、普段の練習で体の入れ方のレクチャーがあるんだよ。みんなボール追いかけてるから視線がないときに何をするかも戦術なんだよ」
実際その入れ方をリサがやってくれると、私は見事に吹き飛ばされました。6年生女子とはいえもう体力では負けてる、もう彼女を上から押さえつけていくのは心身ともに無理だのなって、とても納得してしまいました。
頭では「娘は母の附属物ではなく、独立した個性」とわかっています。日頃から「そうだね、そうだね」と聞くに徹するべきだということもわかる。でも、ついつい叱りつけて、結果双方キレて怒鳴り合いの繰り返しです。ママ友とLINEでグチっていても、みんなそんなものなのだと思います。ですが、私については、今回この性の話をきっかけに「ああ、私は本当にもう娘に教えることがないんだな」と気づいてしまったのです。あれもこれも、いろいろ教えた。これが「教える」のは最後だ。
私たちは「母娘」の役割をいま静かに終えていく。でも、次に「友達」の関係がやってくる
思春期の娘さんを持つお母さま方は、いずれどこかで似たような気持ちになるのかもしれません。「新たに私が母として教えられることはないのかもな」という気持ち。あくまでも私はですが、意気込んで「これは教えなければ!」と感じるものは、もう新たには登場しないのかもって。でも、これで育児が終わるわけではない。私は、今度はお友達になれるのだと思うのです。逆に私の悩みを聞いてもらえたりして、少しずつ上下のある「母娘」から横並びの「女友達」になっていくのではないかなって。
友人であれ同僚であれ、たとえば同期が上司になるときもそうでしたが、関係性の形が変わるときはお互いに緊張します。自分はこう思うけど相手はどう思っているのかなと考える、その考え方の距離が急に開いたり、位相が変わったりします。男女でもそうですよね、男友達から彼氏になるときもとっても難しい。私と同じように思っていてほしいけれど、そうではないことも多い。
これまで母と娘は「命じる・従う」の関係性でしたから、リサの気持ちの動きをそこまで真剣には考えていなかったと思います。これからは、12歳でまだ子どもなのに大人であるように思いこんでいるギャップを受け入れ、「脱いだ服をそのへんに放っているのは2歳の子にお片付けって言ってるのと同じことだよ」と今日も怒鳴りたくなるこの気持ちをぐっと押さえて、「2歳と12歳と自称成人が同居するギャップある友人」として、彼女の心を尊重しながら上手に扱う訓練をしていかないとならないのだなと。
ぎくしゃくするのが「関係性が変わる瞬間の緊張」なら、これもいずれは終わること
私たちはいま、母と娘、父と息子、母と息子、父と娘など「親子」の関係から、友達同士に変わっていく、悩ましく難しい時期を迎えているのかもしれません。ですが、子どもに対してイライラしたり悲しくなったり嬉しくなったりするこの気持ちを、きっと子は子で親に対して持ち続けてきたのでしょう。子の側も、親は強大な絶対者ではないと知る時期を迎えているのでしょうね。
これまでは子どもが「少しでもまともな人間になるように」はみでた部分を必死で整え続ける旅でした。が、これからは「はみでた部分があるならば、あなたがいちばんよく咲ける場所に根っこの位置を変えていけばいいのよ」と、友人にするのと同じアドバイスをする新しい旅が始まるのだと思います。その分岐点として「性の話」がマイルストーンのように鎮座しているのだと感じるエピソードでした。
【編集部より】あとに続くママたちに、あなたのご体験をぜひご伝言ください。あなたはどのように「性の話」を子どもに教えましたか?アンケートで教えてください!こちらから
前編>>>>小6の娘と「性」について向き合ってみて「親としての役割を手放していく」寂しさに直面した。きっとこれが「母が最後に娘に教えること」
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