「拍子木、聞こえねぇんだけど」48歳で散った江戸のメディア王・蔦屋重三郎。それぞれの「天罰」「救済」そして瀬川のその後。“べらぼう”最終回が描いた「夢噺」とは【NHK大河『べらぼう』第48回】

2025.12.16 LIFE

*TOP画像/蔦重(横浜流星) てい(橋本愛) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」48話(12月14日放送)より(C)NHK

 

吉原で生まれ育ち、江戸のメディア王に成り上がった蔦重の人生を描いた、大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(NHK総合)の第48話が12月14日に放送されました。40代50代働く女性の目線で毎話、作品の内容や時代背景を深掘り解説していきます。

 

治済は天から罰を受け、歌麿は自分を受け入れられるように…

松平定信(井上祐貴)らの企てにより、孤島に送られることとなった一橋治済(生田斗真)。彼はその道中で“用を足したい”と要求し、箱の外から出ることに成功しました。そして、見張りの者の腰から刀を抜き取り、逃走。

 

治済にこの世の人間が成敗しなくとも、天が罰を下しました。「待っておれよ…。傀儡(くぐつ)ども!」と叫びながら、刀を抜いたところで、雷に打たれたのです。彼の亡骸の横には平賀源内(安田顕)と思われる髷(まげ)の男が立っていましたが、源内が雷で治済を成敗したのか謎が残ります。

治済(生田斗真) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」48話(12月14日放送)より(C)NHK

治済(生田斗真) 源内と思わしき男 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」48話(12月14日放送)より(C)NHK

自らが“天”であるかのように驕り高ぶり、人びとを操り、命を乱暴に扱ってきた治済でしたが、彼もまた一人の人間にすぎず、“天”には到底およばなかったのです。

 

一方、江戸では、“写楽は誰か?”という話題で持ちきり…。蔦重(横浜流星)によると、写楽の絵の制作に携わった絵師・作家の名前、さらには恋川春町(岡山天音)の名前も写楽として巷で挙がっているといいます。

 

そうした中で、北尾重正(橋本淳)が「蔦重。写楽は歌だってなぁ言わねえのかい? いっち骨を折ったのは歌じゃねえか」と問いかけました。歌麿(染谷将太)は「う~ん…俺の絵って言われても しっくりこねえし 皆が「写楽」」と満足そうな表情で返答。

 

また、歌麿はてい(橋本愛)と二人になると、「俺ゃ 望まれない子でね…。けど 写楽の絵にゃあ みんなが溶け合ってんじゃねえですか[中略]俺も その一部ってえか…。鬼の子も この世の仲間入りして いいんですよって言われてるみたいでさ」と、胸の内を明かしていました。

歌麿(染谷将太) てい(橋本愛) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」48話(12月14日放送)より(C)NHK

歌麿は母から言い放たれた「鬼の子」という言葉、母を見捨てた罪悪感に苦しみ、自らを痛めつけることでなんとか生きていましたが、写楽の絵の中で仲間たちと溶け合ったことで、自分の存在を肯定できるようになったのです。

 

そして、歌麿は母を山姥に、自分を金太郎にした絵を描き、蔦重にその絵について穏やかな表情で説明できるようにもなりました。

歌麿が描いた絵 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」48話(12月14日放送)より(C)NHK

歌麿が「おっかさんと こうしたかったってのを二人に託して 描いてみようかと思って」と語るように、この絵に描かれた子は母親のそばで、ほっとした表情をしています。

 

かつて、鳥山石燕(片岡鶴太郎)は歌麿の絵を見て、彼の心の闇を読み取りましたが、今の歌麿の絵は穏やかであり、彼の心の落ち着きも感じられます。

 

人は過去の痛みを乗り越えられるとはいわないけれど、自身の生業に励んだり、仲間と笑い合ったりする中で少しずつ和らいでいくことはあるのかもしれません。

 

「瀬川」が幸運の名跡に

本作において、主役を凌駕するほどの人気を誇るといっても過言ではない瀬川(小芝風花)。鳥山検校(市原隼人)の心遣いにより自由の身となった後、蔦重の夢を応援するため、そして「瀬川」という名跡を背負った使命を果たすために、姿をくらませました。

 

磯八と仙太は長谷川平蔵宣以(中村隼人)のために瀬川の行方を調べたところ、駕籠屋の女将として安定した暮らしを営み、大好きな本に囲まれ、子どもにも恵まれ、幸せに暮らしていることが分かりました。

瀬川と思しき女性、駕籠かき 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」48話(12月14日放送)より(C)NHK

蔦重(横浜流星) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」48話(12月14日放送)より(C)NHK

7話「好機到来『籬(まがき)の花』」では、蔦重の「吉原細見」の注目度を高めるために、瀬川の名を継ぐことを決め、「わっちが豪気な身請けでも決めて 瀬川をもう一度 幸運の名跡にすりゃいいだけの話さ」と自信満々に話していました。この決意を口にする瀬川には痛々しさも感じられましたが、瀬川もまた自らの夢を実現していたのです。

 

それぞれが自分の道を進み、“今”の暮らしがあるからこそ、蔦重は“今を生きる”瀬川に対し、少し離れた場所からあたたかな眼差しを注ぐにとどめたのだと思います。

 

“日本一の戯け男”蔦重の死

蔦重とていは性格はまるっきり違うけれど、26話「三人の女」で、蔦重がていとの出会いを「『出会っちまった』って思ったんでさ。俺と同じ考えで、同じつらさを味わってきた人がいたって」と胸の内を明かしていたように、二人もまた赤い糸で結ばれていたのです。

蔦重(横浜流星) てい(橋本愛) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」48話(12月14日放送)より(C)NHK

「江戸は もちろん 今や 名も知らぬ町や村で 見知らぬ人たちが 黄表紙を手に取り 狂歌を楽しんでおられると聞きました。それは 旦那様が築き上げ 分け与えた富では ございませんでしょうか。その富は 腹を満たすことはできませぬ。けれど 心を満たすことはできます。[中略]然様な「笑い」という名の富を 旦那様は 日の本中に振る舞ったのでは ございませんでしょうか」

 

ていが蔦重に力強くも優しく語った言葉は彼の偉業を語っています。蔦重が江戸のメディア王として駆け上がった出発点は、“吉原を元気にしてぇ!” “女郎たちを幸せにしてぇ!”という思いでした。いつからか、そうした思いが日の本中に広まっていったのです。

 

蔦重の最期は春町に負けず劣らず戯けたものでした。九郎助稲荷(綾瀬はるか)は昼九つ(午の刻)に迎えに来ることを伝えに訪れた際、「火事の折のお礼に 一つだけ 何でも知りたいことにお答えしますよ」と、蔦重に告げました。蔦重は「100年後の髷(まげ)って どうなってるんで?」と目を輝かせながら返答。蔦重の関心はこの場におよんでも春町の作品の案思を考えていた時から変わらず、髷。

 

この夢から覚めた日、蔦重は育ての親である駿河屋市右衛門(高橋克実)とふじ(飯島直子)が到着する前に意識を失いました。

 

太田南畝(桐谷健太)は市右衛門らの思いを察し、「呼び戻すぞ! 蔦重!」と大きな声で叫び、「俺たちは へ(屁)だ~!」と一声。続いて、一同が「へ!へ!へ!へ!へ!へ!」と盛大な“へ”コール。それぞれの顔には笑みが浮かんでいるものの、“蔦重に戻ってきてほしい”という真剣な思いが滲んでおり、面白おかしくもあり、切なさも感じるシーンでした。

蔦重(横浜流星) 次郎兵衛(中村蒼)他 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」48話(12月14日放送)より(C)NHK

蔦重が最後に残した言葉は「拍子木…聞こえねぇんだけど」。楽観的で、マイペースな蔦重らしい一言で、本作は幕を閉じました。

 

この世を旅立つ瞬間とは意外にもあっけないのかもしれません。だからこそ、人生においてとことん戯けておくことが大切だと思いました。

 

令和の今だからこそ、本作のような夢噺が求められている

蔦重(横浜流星) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」48話(12月14日放送)より(C)NHK

本作における大きなテーマの1つが「欲」。欲はネガティブに捉えられがちですが、“おもしれぇ本を読みてえ!” “煌びやかな錦絵がほしい!” “自分の店を持ちてぇ!”といった欲こそが生きる原動力にもなり、世を明るくし、人間にとって必要なものだと思いました。

 

ただし、治済のように限度を超えてしまえば、天から罰を受けることになりますが…。

 

また、令和の今、ホワイトな社会が推進されています。39話「白河の清きに住みかね身上半減」で、蔦重が「人ってなぁ どうも濁りを求めるところがありまして」と定信に持論をクドクド展開していたように、人間が暮らす社会においても濁りもある程度必要なのです。

 

現代の社会は、マナーや倫理に対して厳しいからなのか、物腰の柔らかいモラルの高い人が多いように感じます。けれども、人びとの幸福度が上がったわけではないし、平成や昭和を懐かしむ30代以上の世代は多いと見られます。

 

なんとなく息苦しさを感じる今の社会の中で、本作のざわめきは耳に心地よく響き、江戸っ子の寛容さにはっとさせられ、蔦重が江戸の街を駆け巡る姿は背中をそっと押してくれるようでした。

 

蔦重は“100年後の髷”を想像してワクワクしていましたが、それを知っている私たちは未来の何に胸をふくらませているのだろうか…。

 

人生は尊いけれど、人生の一生は一時の夢なのかもしれません。

 

本編では、治済の最期、写楽をめぐる騒ぎの中で歌麿が自分を肯定していく姿、そして“日本一の戯け男”蔦重が遺した余韻まで、最終回の物語を振り返りました。

▶▶江戸のメディア王・蔦屋重三郎の晩年。「江戸煩い」脚気と『身体開帳略縁起』に残した最後の火。寛政の改革がなければ、蔦重はもう少し長生きできたのか【NHK大河『べらぼう』最終回・史実解説】

では、ドラマのモデルとなった蔦屋重三郎の史実に立ち返り、48歳でこの世を去った背景として語られる「脚気」や、晩年の出版活動、蔦重亡き後の耕書堂の行方を見ていきます。

 

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