不登校の娘のこれまでを振り返る。「自己主張をしない育てやすい子」が5歳で突如として「癇癪を起す」ようになった。もしかして

2026.07.14 LIFE

不登校の子どもの親当事者として、考えたことや行動に移したことをふりかえっていくこの連載。

今回は、スクールカウンセラーさんとの関わりについてまとめたい。

*写真はAI生成のイメージ

【仙田学・シングルファーザー小説家の子育てと社会日記】#4

 

不登校が始まった序盤のころ。親である私の「動き」を振り返ると

長女が学校に行かなくなったのは、1年ちょっと前だった。

 

ちょうど小学校から中学校にあがる時期で、初めましての中学校の先生にはどう相談すればいいのかもわからなかった。それでも、担任の先生は親身になって相談に乗ってくださった。最初の頃には毎週のように電話でやりとりをして、家での様子や、学校の進み具合を共有した。

 

担任の先生と、養護教諭の先生と、スクールカウンセラーさんと、わたしとの4人で作戦会議をしたこともある。1年生の6月までは長女はたまに学校へ行っていたので、「無理にでも行かせることはさせないが、なんとか学校との結びつきを維持する」ことを目標にしていた。

 

その頃から、わたしは月にいちどのペースでスクールカウンセラーさんのところへ通うようになった。長女にも、そういう場所があるよ、と伝えはしたが、長女が話しにいったことは一度もない。

 

そもそも長女は「自己主張をしない」穏やかでわがままを言わない子どもだった

スクールカウンセラーの存在を知ったのは、長女が小学校1年の頃だった。

 

すぐに相談にいくようになった。幼い頃から長女がわがままを言わず、自己主張をあまりしない子で、そのことがずっと気にかかっていたからだ。

 

長女が2歳のときに、次女が生まれた。その頃に読んだ本にこんなことが書いてあった。きょうだいが生まれると、親は下の子にかかりきりになりがちだ。すると上の子は、それまで一身に浴びてきた関心を奪われたように感じる。それで寂しい思いをしたり、赤ちゃん返りをしたりすることもある。

 

それを恐れたわたしは、次女が生まれてからもなにかと長女を優先するようにしてきた。名前を呼ぶのも、おやつをあげるのも長女を先にした。

 

それでも長女は、生まれもった性格からなのか、あれがしたいこれがしたいなどと、ほとんど言わない子に育った。

 

「なに食べたい?」「なにして遊ぶ?」と聞いても、「なんでもいい」としか言わない長女。「もっとわがまま言っていいんやで」「食べたいものなんでも食べていいよ」と、3歳の頃の長女に何度も話したことを覚えている。

 

5歳にして突如始まった癇癪に途方に暮れる。頻繁ではないものの、想像以上の強さだった

そんな長女の様子が変わったのが、離婚をして東京から京都に引っ越した頃だった。

 

当時5歳で、ある程度もののわかる年齢だったから、環境が大きく変わったことに戸惑いや不安や、喪失感を覚えたのだろう。

 

月にいちどほど、泣き喚いて暴れるようになった。

 

理由はわからない。聞いても答えないし、心当たりもない。ただ泣き喚き続けていて、たとえば「お風呂入りたい」と叫ぶので、風呂場に連れていくと「入りたくない」という。

 

落ち着かせようと抱っこをすると、「あっち!」と指をさす。そちらへ歩いていくと、「あっち!」と別の方向を指さす。

 

2歳頃の、いわゆる「イヤイヤ期」にも同じようなことがあったが、5歳ともなると声も動きも激しい。

 

泣き喚く時間は決まって1時間ほどだった。そのくらいの時間が経つと、「お腹が空いた」といいだす。台所へ連れていって、ご飯かお菓子を食べさせるとふだんの様子に戻る。

 

最初の頃には途方に暮れながら長女を抱っこして、「お腹が空いた」いいだすまで我慢していたが、何ヶ月もそれが続くうちに、わたしは慣れてしまった。月にいちど泣き喚きだすたびに、別の部屋に移動して、聞こえてくる泣き声を耳に入れないようにしながら別のことをする。そして1時間ほど経ってから様子を見にいき、台所へ連れていってなにかを食べさせる。

 

その対応が正しかったのかどうかはわからない。だが、限られた労力で仕事や家事や育児をこなしていくなかで、長女がときどき起こす癇癪は、まともに接するとあまりにも大きなエネルギーを持っていかれた。

 

いろいろな方の力を借りて手を尽くす。しかし、娘は「なぜなのか」を話さない

月にいちどの癇癪を、保育園で起こすときもあった。そんなときには担任の先生だけでなく、何人もの先生たちが対応してくださるのだが、どの先生に聞かれても、長女は泣き喚いている理由を話さなかった。

 

保育園の先生にはたびたび相談していたので、小学校に入学したときにも、まずは担任の先生に共有しておこうと思い、時間を取っていただいた。

 

小1のクラスの担任だった先生はメモを取りながら話を聞いて、校長室にも案内してくださった。当時の校長先生は気さくな方で、世間話も交えながらゆっくり話してから、「いつでも喋りにきてください」と笑顔を向けてくださった。

 

スクールカウンセラーさんの予約をはじめて取ったのも、その日だった。

 

つづく>>>なにげないひとことだったかもしれない、でもカウンセラーのその視点に「救われた」。運命を変える言葉とは

 

 

 

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