戦国武将は洒落た死に方を望んだ?お市(宮崎あおい)と柴田勝家(山口馬木也)の予想外の最期と戦国時代の死生観【NHK大河『豊臣兄弟!』33話】
*TOP画像/勝家(山口馬木也) 市(宮崎あおい) 大河ドラマ『豊臣兄弟!』33話(8月30日放送)より(C)NHK
戦国時代のど真ん中を舞台にした『豊臣兄弟!』(NHK総合ほか)の主人公は仲野太賀が演じる豊臣秀長。兄弟の絆で“天下統一”という偉業を成し遂げた豊臣兄弟の奇跡を描いた大河ドラマ『豊臣兄弟!』(NHK総合ほか)の第33話が8月30日に放送されました。40代50代働く女性の目線で毎話、作品の内容や時代背景を深掘り解説していきます。
市と勝家の純愛に涙
本放送回は、市(宮崎あおい)と柴田勝家(山口馬木也)の絆が描かれた感動的な内容でした。市は自分が嫁いだ勝家とともに死ぬ決意をし、勝家は織田家の家臣として、そして織田信長(小栗旬)が生きていた頃から恋心を抱いていた市を守るために必死でした。
市と勝家のあたたかな食卓……。市は幸せな女性だった?
勝家が戦から北庄城に戻ると、市は彼をあたたかく迎え入れ、空腹であろうことを察して手料理を差し出しました。

勝家(山口馬木也) 市(宮崎あおい) 大河ドラマ『豊臣兄弟!』33話(8月30日放送)より(C)NHK
料理は不慣れで、自分の作った料理に自信がない市。そんな妻に見つめられながら、愛情が込もった料理をありがたく、満足そうに食べる勝家。この光景は国の主導権を握る家に限らず、身分の高低を問わず、どこにでも見られるものだと思います。
勝家は市の命を何よりも大切に思い、必死に逃がそうとします。一方、市はその思いを察してか、何事もないかのように振る舞っていました。勝家が「逃げよ。お市」と改めて促すと、市は長政との結婚を控えていた頃、さりげなく告白してくれた勝家の姿を思い出し、目に涙を浮かべながらも満たされた表情で「長政殿も あなた様も 私にはもったいないお人でした。私はよい夫に恵まれました。私も 共に逝きます」と、胸の内を明かしました。
市は自らの意思で決めた結婚ではなかったものの、それでもよい男性に恵まれ、愛情を感じながら生きていたと知り、ほっとしたのは筆者だけではないでしょう。
黄泉の国へ共に旅立った市と勝家
市は秀吉軍が北庄城に攻め入り勝ち目がないと察すると、短剣で首を刺して自死することを決めました。

市(宮崎あおい) 大河ドラマ『豊臣兄弟!』33話(8月30日放送)より(C)NHK
市の「もう嫁いだ方の最期を見送るのは たくさんでございます。私が 先に参ります」という言葉は、切ないものでした。戦国の世ゆえに、嫁いだ者の最期を何度も見なければならない苦しみ。勝家は市のそんな思いを静かに受け止め、彼女を尊重していました。そこにも、勝家の市への深い愛と、この男の優しさが感じられます。
しかし、いざ市が自ら喉に短剣をあてる姿を見るといたたまれなくなり、「この勝家が 最後までお守りいたしまする」と市に告げ、手を握りしめました。
そして二人は、追いかけてくる秀吉軍から逃れるため、城内をかけめぐります。勝家が一人で複数の秀吉軍の武士を倒し、市の手を引いて逃げる場面は迫真に迫るものでした。勝家が市を守らなければならないという強い使命感が怪力となり、刀を豪快に振るう姿に、勝家の市への愛と、織田家重臣としての責任感がみなぎっていました。人間は守るべき存在とともに追い込まれたら、ここまで力がわいてくるのかと、人間の底力に感動しました。
市は守られるだけではありません。敵との闘いでハアハアと息切れし、階段に座り込む勝家に手を差し伸べ、引っ張る場面も。二人の関係はまさに対等であり、夫婦として共に助け合い、支え合いながら、歩を進めていました。

勝家(山口馬木也) 市(宮崎あおい) 大河ドラマ『豊臣兄弟!』33話(8月30日放送)より(C)NHK
二人が手を取り合いながら城の最上階に登り詰め、窓から青空や山を見るときの表情はすがすがしく、自分たちが決めた最期に迷いがないようでした。
小一郎(仲野太賀)、蜂須賀正勝(高橋努)ら秀吉の重臣に追い詰められ、逃げ場がなくなったときの二人の表情もおだやかで、余裕が感じられました。
市は「頼もしいのう。皆 よい顔をしておる」と、自分たちの命を狙うために必死な彼らに告げ、若い頃から知る彼らの成長を喜んでいるようにも感じました。また、勝家の「よう見ておれ。これが戦じゃ」という言葉は、かつての仲間に敵としてではなく年長者として、戦とはどういうものなのか身をもって教え説いているように見えました。
市と勝家が決めたのは、二人で手を握り合って城の最上階から飛び降りることでした。市と勝家の最期は気高く、青空のように清らかなものでした。

勝家(山口馬木也) 市(宮崎あおい) 大河ドラマ『豊臣兄弟!』33話(8月30日放送)より(C)NHK
市は自分や自分の一族を心から愛してくれ、自身も愛する勝家と共に、この世を去ることができました。勝家は秀吉のように饒舌ではなく、市をお話で楽しませることはできなかったかもしれません。しかし、確固たる信念を持ち、正直で、人と真摯に向き合う姿勢は、市の心にやすらぎを与えていました。
戦国武将は現世よりも死後を意識していた?
本放送回を観ていた視聴者の中には、“市は生き残れただろうに。私なら小一郎に土下座してでも救ってくれと頼むわ~!” “市が自ら死を選ぶなんて悲しすぎる。私なら娘のためにも生きる!”と思った人もいるかもしれません……。
人生50年と称された戦国の世にあっては、武将たちは短い現世よりも、死後に続く長い時間を強く意識していたといわれています。彼らにとって一生の価値は生前の功績によってではなく、黄泉の国へ旅立つその瞬間に決定づけられる——そんな死生観が根づいていたのです。
武将は戦に赴く際には身なりを整え、戦場では勇敢に戦い、死に際してはドラマティックな演出を好みました。一騎討ちともなれば、互いに名を高らかに名乗り、華々しいパフォーマンスを繰り広げるのが常でした。
史実では、柴田勝家は賤ヶ岳の戦いで豊臣秀吉に敗れると、北庄城で市を含む一族を刺し殺した後、自害しました。勝家のこの死に方は敵である秀吉も感服したといわれており、立派な最期を遂げたとみなされるものでした。
また、討死を覚悟して戦場に臨む者も少なくありません。主君への忠誠の証であると同時に、たとえ自らが討死にしようとも、功績を残せば残された家族に恩賞が届くという望みもあったためです。
そうはいっても、戦での敗北による死はしばしば悲劇的でした。家臣を含む一族郎党が滅ぼされることも珍しくなく、かろうじて命を取り留められた子どもたちでさえ、父祖と同じ武士の道を歩むことは叶わず、僧侶など限られた道に進むしかありませんでした。
現代においても主流な死生観はあるものの、それぞれが独自の死生観を抱いているように、戦国の武将たちもさまざまでした。主流の価値観から外れる者は、どの時代にも必ず存在します。
例えば、荒木村重は、織田信長に叛旗(はんき)を翻し、信長からの呼び出しにも応じませんでした。そして、家臣や妻・だしを見捨て、ただ一人逃れて生き延びました。自らの言動によって身内が残虐な方法で処刑される結果を招いたにもかかわらず、村重は毛利輝元に匿われるなどしてなんとか生き延び、信長の死後は茶人としても活躍しました。当時の平均寿命を超える50年以上の人生を歩みました。
つづき>>市(宮﨑あおい)の名場面を振り返る――『豊臣兄弟!』が描くもう一つの“きょうだい物語
<参考資料>
二木 謙一(監修)『図解戦国合戦がよくわかる本: 武具・組織・戦術から論功行賞まで』PHP研究所、2013年
晋遊舎(編集)『晋遊舎ムック 歴史旅人 Vol.7』晋遊舎、2020年
山寺邦道『死生観』パレード、2015年
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