「血の付いた妻の服を捨てられなかった…」愛する人を失うかもしれない恐怖で眠れない日々。ベストセラー作家が明かす壮絶な過去

2026.09.11 LIFE

愛する人を失うかもしれない現実に直面したとき、人はどのようにその恐怖と向き合うのでしょうか。周囲には平静を装っていても、心の中では悲しみや怒り、恐怖が渦巻き、眠れない日々が続くこともあります。

医学博士の井上裕之氏も、突然の事故で意識不明となった妻を支えながら、壮絶な日々を過ごしました。本記事では井上氏が「別れの試練や失意の乗り越え方」を綴った著書から、深い絶望の中で向き合った現実と、そのとき抱いた思いを紹介します。

※本記事は書籍『悲しみを手放す。 大切な人との別れや失意の日々が教えてくれること』(井上裕之:著/日本実業出版社)から一部抜粋・編集したものです

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どれほど怖くても、現実から目をそらさない

悲しみを抱えながらも、私は立ち止まるわけにはいきませんでした。帯広で歯科医院を営む身として、仕事を休むことはできなかったのです。

家族を守るためにも、治療を待つ患者さんのためにも、現場に立ち続ける。それが私の現実でした。

平日は帯広で診療し、週末は旭川の病院へ向かう。土曜の診療を終えると、片道4時間のバスに揺られます。往復8時間です。

旭川から帯広に戻り、バスを降りたその直後、「容態が急変した」という連絡を受けることもありました。

自宅まであと数分という場所で引き返し、再び旭川の病院へ向かう。そうしたことも、一度や二度ではありませんでした。病院に向かうバスの中で、一人静かに泣きながら、思いがよぎります。

なぜ、あの日、あの時間、あの場所を走っていたのか……。

眠れない夜も続きました。娘を実家に預けていたため、家には私ひとりでした。深夜、小さな物音がするだけで、心臓が跳ね上がる。

何か不吉なことが起きたのではないかと、得体の知れない恐怖に、神経が異常なほど過敏になっていました。

静けさの中にいると、意識が遠くへ引き込まれていくような感覚に襲われることもありました。

「このままでは、おかしくなってしまうかもしれない」と思い、無音にならないよう、テレビはつけたままにしておきました。

「なぜ、こんなことになったんだ! どうしてなんだ!」

抑え切れない怒りが込み上げてきて、大声で叫ぶこともありました。そんな私を見かねて、母や親類たちは睡眠薬の服用を勧めました。

けれど、私はそれを受け入れる気にはなれませんでした。薬に頼ることで、現実から目を背けてしまう気がしたのです。

怖くても、つらくても、逃げてはいけない。逃げたら、生死を彷徨っている妻を守り切る強さが、私から失われてしまう。

「今、妻は旅行に出ているだけだ。たまたま今だけ、私は一人なのだ」

そう自分に言い聞かせ、どんな現実からも目をそらさないと決めました。

 

事実に「恐怖」という色をつけているのは、自分自身

妻が入院していること。それはまぎれもない事実です。けれど、その事実を「恐怖」として膨らませているのは、自分自身の心ではないか。日常を崩してはいけないと思いました。

どれほど不安や恐怖があっても、それに引きずられて生活まで変えてしまえば、自分の足元が崩れてしまう気がしたのです。

これまでと同じように働き、同じように看病をして、変わらず過ごす。それしか、自分の心を保つ方法はないと思っていました。

薬に頼ることも、環境を変えることも、一つの選択肢です。けれど当時の私にとっては、それは「恐怖から目をそらすこと」と同じように感じられたのです。

事故から数週間後、警察から、事故当日に妻が着ていた衣服が送られてきました。血痕があまりに生々しく、すべてを捨て去りたい衝動に駆られました。見ているだけで、あの日の出来事がよみがえってくるのです。

けれど、私は考え直しました。

「目の前にあるのは、ただ血が付いた衣服にすぎない。それなのに、なぜ私はこれを怖いと感じるのだろうか。この恐れは、私自身が事実に貼り付けたラベルに過ぎないのではないか」

「この血は妻の命の証である。これを忌まわしいものとして捨ててしまえば、事実に負けることになるのではないか」

私は衣服をていねいに整理し、クリーニングに出すことに決めました。

「きれいにしておけば、元気になったとき、また着られるじゃないか」

汚れを落とし、きれいに畳んで、クローゼットにしまう。その一つひとつは、私にとって、余計な意味づけを手放すことでもありました。

 

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著者:井上 裕之(いのうえ・ひろゆき)
いのうえ歯科医院理事長、医学博士、経営学博士。東京歯科大学大学院修了後、世界レベルの技術を学ぶためニューヨーク大学、ペンシルベニア大学、イエテボリ大学で研鑽を積み、医療法人社団いのうえ歯科医院を開業。自身の医院で理事長を務めながら島根大学医学部臨床教授、東京医科歯科大学、インディアナ大学客員講師など国内外9大学の役職を歴任。その技術は国内外から評価され、とくに最新医療、スピード治療の技術はメディアに取り上げられ、注目を集める。世界初のジョセフ・マーフィー・トラスト(潜在意識の権威)公認グランドマスター。本業の傍ら、世界的な能力開発プログラム、経営プログラムを学んだ末に、独自の成功哲学「ライフコンパス」をつくり上げ、「価値ある生き方」を伝える著者として全国各地で講演を行っている。著書は90冊を超え、累計140万部を突破。実話から生まれたデビュー作『自分で奇跡を起こす方法』(フォレスト出版)はテレビ番組で紹介され、大きな反響を呼んだ。『本物の気づかい』『一流の人間力』(ともにディスカヴァー)、『不敗の人生をつくる言葉』(致知出版社)、『選ばれる人の100の習慣』(日経BP)など著書多数。

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