先ほどまで一緒に歩いていた長女が、ふと振り返るとそこにいない。まさか、、、「心が凍り付く」できごと

不登校児の親として、体験したことや考えたことをふりかえるこの連載。

今回は、フリースクールとの関わりについて考えたい。

前編記事『「フリースクールに行ってみようかな」不登校の中1娘はやっと立ち上がった。が、そう簡単には通う先が見つからない』に続く後編です。

【仙田学・シングルファーザー小説家の子育てと社会日記】#6 後編

支援の形は一つではない。子どもの段階ごとに「どのような支援が必要か」違うことに気づく

その違和感の正体は、話を終えてリビングルームに戻ったときにわかった。5人の男の子たちは、1時間前と同じ場所で、まだゲームをしていたのだ。聞けば、朝10時頃からずっとこの状態だという。

 

帰り道、「どうやった?」と聞くと、長女は「行きたくない」と答えた。

 

長女もSwitchを持っているが、1日1時間だけという制限をかけている。スマホも、1時間以上触り続けていればいったん預かるようにしている。視力と思考力が低下するのを恐れてそうしているので、5時間もぶっ通しでゲームをしているところを想像すると頭が痛くなった。

 

いちがいに長時間ゲームをすることがよくないとは思わない。直面できないほどつらい現実がある場合に、ゲームの世界に逃避すれば、心身を守ることができることもあるだろう。

 

それほど疲れている子どもたちが、そのフリースクールに通っているのだと思った。

 

長女は、その段階はもう超えている。というよりも、その段階にいた頃には、外にでていく必要がなかった。毎日15時間ほど眠り、起きているあいだは好きなことをする生活を半年ほど続けるうちに、少しずつ家で勉強ができるようになっていた。血が流れていた傷跡がかさぶたになり、かさぶたがとれてきれいな皮膚に戻るように、笑顔が増えて活動範囲も広がった。

 

フリースクールはそれぞれの「目指す子どものありかた」が根本的に違う

フリースクールには、その子の状態に応じて、さまざまな目的をもつものがあることを知ったのはその頃だった。気持ちの安らぐ居場所を提供するところ、創作活動や遊びに重きをおいているところ、勉強をメインにしているところなど。最初に見学にいったフリースクールは、毎日を過ごすことで精いっぱいな子どもたちに居場所を提供することを目的としたところだった。

 

次に見学にいったのは、電車で2駅離れた町にある、大手学習塾の駅前校だった。中高生向けの学習塾だが、通信制高校のサポート校の事業もしていて、数年前に中等部が開設されて、フリースクールとして不登校の子どもを受け入れているという。

 

オープンキャンパスの日だったが、予約をしていたのはわたしたちだけだった。キャンパス長と高校生の子から話を聞き、長女は別の先生から1時間、英語の個別指導を受けた。

 

月に1時間×8コマの個別指導が受けられて、教科は好きなものを選べる。課外活動も盛んにおこなわれていて、毎週のように教室内でゲームやネイル、メイクなどのサークルが開催されているし、他の教室と合同で文化祭や体育祭だけでなく、修学旅行などもあるという。

 

帰り道に「通ってみる?」と聞くと、長女は「うん」と答えた。

 

週に1、2回、フリースクールに通う日々が始まった。

 

教室の中央には大きな丸テーブルがあり、昼休みにはそこでみんなが集まってご飯を食べるらしい。早く友達ができるといいな、と思い、みんなと一緒にご飯を食べられるようにと、弁当を作って送り迎えをした。

 

行きたいと決めたフリースクールだったが…そこでも小さな違和感が少しずつ育っていく

何度か通ううちに、わたしはまた小さな違和感を抱くようになった。

 

帰り道で「楽しかった?」と聞くと、長女は「うん」と答える。でも笑顔ではないし、その日にあったことを自分から話したりもしない。

 

「本当に行きたいのかな」という考えが、頭の奥から湧いてきた。

 

フリースクールを探したり、一緒に見学にいったりするにあたって、わたしは「行きたい?」「行きたくない?」あるいは「行ったほうがいいよ」などと、長女の意思を確認したり、誘導したりするような声かけはいっさいしないようにしていた。

 

その代わりに「こんなんあるけど、行ってみるか」と、散歩に誘うかのようにさりげなく連れだすことを心がけた。

 

それは、長女が自発的に「……に行きたい」と口にするのを待っていたからだ。

 

育ちにくい植物を、雨風からよけて、水と肥料をやり、陽によく当たらせるかのように、わたしはよけいなことをせず、楽しい思いをたくさんさせることに努めて、なにかをやってみたい、という長女の意思が芽をだすのをひたすら待っていた。

 

だが、抱いた違和感はどんどん大きくなり、長女はある日を境にフリースクールに行かなくなった。

振り返ると、一緒に歩いていたはずの長女の姿がない。まさか

通いだして1ヶ月半ほど経った頃のこと。昼前に一緒に家をでて、バスで最寄り駅までいき、電車のホームでベンチに座っていると、長女がしんどいと言いだした。電車が何本も通り過ぎるが、腰をあげようとしない。

 

「……帰るか」

 

と促して、またバスに乗った。

 

家の近くのバス停で降ると、長女はカタツムリのようなスピードで歩きだした。しばらく一緒に歩いていたが、陽射しがきつかったこともあり、わたしはちょっと先まで進んで木陰に入った。

 

振り返ると長女の姿がない。あわてて道を戻り、途中にある曲がり角の先を見てもいない。その道を走り、また曲がり角を曲がってもいない。

 

ひょっとして、と思い家に帰ると、玄関先に長女は座っていた。わたしは何も言わずにドアを開ける。長女はなかに入り、そのまま2階へあがっていった。

 

子ども部屋か寝室にいったのだろうと、わたしは1階で昼食を作りだした。

 

ふと、2階から人の気配がしないことに気がついた。長女がずっと家にいる生活に慣れてから、長女が寝ていようと子ども部屋で静かに勉強していようと、家のどこかにいるときには気配を感じとれるようになっていた。

 

でも、それがしない。玄関を見ると靴はある。ということは家にいるはずだ。2階にあがってすべての部屋を見て、また下に降りてあちこち探したが、いない。

 

また2階にあがって、もしかして、と思いながら和室の押し入れを開けると、そこに長女はいた。

 

体を丸めて横たわり、声を押し殺して泣いている。わたしは胸を強く押されたように苦しくなり、その場を離れた。

 

とりあえず、長女はぶじで、同じ家のなかにいる。それだけで充分だと思った。取り乱しているときに話しかけても、実りのある話しあいにはならない。落ち着いてから、ふだんのように話しかけようと。

 

このように、フリースクールとつながるまでには時間を要したし、通いだしてからも順風満帆とはいかなかった。

 

長女が安定してフリースクールに通えるようになるには、さらに数ヶ月が必要だった。次回はその過程をふりかえってみたい。

 

前編>>>「フリースクールに行ってみようかな」不登校の中1娘はやっと立ち上がった。が、そう簡単には通う先が見つからない

 

 

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