LiLiCo、夫を「主人」と呼ぶことよりも、あの呪いの言葉が怖すぎる
結婚は男女関係でくくられることが多いわけですが(なので、結婚していない女性はモテないとか言われる)、実は家族の再生産ではないかというのが私の考えです。
生まれ育った家族があまりに心地よく、本人も仕事や趣味で満たされていれば、家を出ていく意味はないでしょうし、反対に「こんなとこ、これ以上いたら死ぬな」という家庭に育った人は、何が何でも結婚するわけです。
不幸な家庭に育つ人は結婚はしやすい環境と言えるでしょうが、問題は結婚生活が安定するとは限らないということでしょう。
天下の美女、オードリー・ヘップバーンは「重い女」だった
銀幕の妖精、オードリーヘップバーン。女優として大成功をおさめ、時代を超えたエレガンスのお手本のような彼女が、努力しても努力しても手に入らなかったものが何か、ご存じでしょうか。
意外に思われるかもいるでしょうが、結婚生活なのです。あの美貌ですから、結婚は2回し、晩年は事実婚もしました。しかし、2回の結婚生活で安定した結婚生活は送れなかったのです。
ここでオードリーの人生を超簡単に振り返りましょう。オランダ・アムステルダムで幼少期を過ごしたオードリー。子ども時代はお世辞にも恵まれているとは言えなかったようです。
時は第二次大戦中で、オランダもナチスに占領されてしまいます。両親は離婚しており、オードリーはずっと「自分は捨てられた子」という気持ちを持ち続けていたそうです。
食べ物もろくにない状態で、オードリーはバレリーナとして活動しながら、レジスタンス活動にいそしみます。オードリーは少女スパイだったのです。彼女が晩年ユニセフの活動に熱心に取り組んだのは、平和の大切さを肌で知っていたからかもしれません。
背が高すぎて、バレリーナをあきらめたオードリーは女優に転向。「ローマの休日」で大ブレイクします。
勢いにのって女優活動に邁進するかと思いきや、映画監督のメル・ファーラーと結婚。「家庭を大事にしたい」というオードリーの意向で、1年に2本以上の映画には出ないことにします。
家をくつろげる場所にしたいとオードリーは家の内部に凝り、ホテルに泊まるときは家の中のもの、たとえば絵画やベッドカバー、灰皿などを自分で荷造りして滞在先におくり、それらを家と同じようにしつらえていたそうです。
子どもをもうけ、「家族第一」の献身をしたにも関わらず、離婚をすることになります。
お次の結婚は、イタリア人の年下精神科医。もう一人子どもも生まれ、「大切なのは、どんな音楽を選ぶか、どんな音楽をかけるか、どんな笑顔でいるのかということ」という言葉どおりに、家庭に凝ります。
夫が仕事で忙しいときは病院で一緒に食事もとったそうです。しかし、夫の浮気で離婚。
家庭を大事にすることは、素晴らしいと思います。けれど、オードリーのようにちょっとやりすぎ、もしくは重い献身には本人のトラウマが隠されているのではないかというのが、私の考えです。
「こういうことをしたかった」という悲しさや、「こうあるべき」という理想を相手におしつけてしまい、お互いをがんじがらめにしてしまうのではないでしょうか。
夫を「主人」と呼ぶLiLiCoが放った呪いの言葉とは?
この人の「家庭的」がトラウマでないといいなと私が勝手に思っているのが、タレント・LiLiCOです。
独身時代は肉食キャラとしてならしましたが、2017年に純烈・小田井涼平と結婚します。講談社の運営するサイト「gendai」のインタビューによると、LiLiCoは夫を「主人」と呼び、「どこかで夫の三歩下がっていたい気持ちがある」そうです。
自分に仕事があっても、夫の起床時間(朝4~5時)の前に起きて朝食を準備し、夜は小田井が帰宅するまでは寝ないそうです。
夫が一緒に仕事をする人と面識があれば自分から挨拶をし、言葉遣いもチェック。握手会のために手や爪のケアもさせているそうですから、世話をやきまくっている感じ。
「徹子の部屋」(テレビ朝日系)では家事は全部LiLiCoの担当で、「オトコの人がキッチンに入ってはダメ」と言っていることを小田井が明かしていました。ちなみに小田井は一人暮らしが長いので、自分のことは自分で出来るそうです。
やりたくないのにやらされているならアレですが、LiLiCo本人が望んでやっていて、小田井もそれが嫌でなければそれでOKです。そんなことより、私が気になったのはLiLiCoの別の発言なのでした。
女性向け情報メディア「ウートピ」のインタビューを受けたLiLiCoは、家事分担についてこんなふうに述べています。
彼の洗濯物も、本人は絶対やらないから私が畳むんですけど、どこにしまったか彼が分からなくなるといけないから、机の上にどんどん重ねて置いておくんです。まあ、いつか倒れるんだけど(笑)。そして「どこでもいいなら、しまっちゃっていい?」って聞くと、「いい」って言うから、適当にクローゼットに詰め込んじゃいます。でも、そう聞いておくと、あとから「アレはどこ?」とは言ってこない。
(出典・2019/11/28 LiLiCo、自ら望んで「主人」を支える「奥さん」になった)
つまり、相手の意志を確認した上で、自分が代行しているということでしょうが、きちんと伝えることの理由を「あなたが選んだ人なんだもの」と話しています。この後に
50:50で家事をしてほしいなら、付き合っているときから自分の考えをきちんと相手に伝えないと。
例えば「皿洗いはしてほしい。私も忙しいから、月〜金曜日で朝ご飯の支度は自分でやって」のようなルールを最初に作ればいい。“後出しじゃんけん”はダメですよ。
(出典・同)
と続くことから推測するに、「あなたが選んだ人なんだもの」という言葉は、最初からそういう人であることがわかって選んだ(結婚した)んでしょと言う意味ではないでしょうか。
そういう意味だと仮定して話を進めますが、この「あなたが選んだ人なんだもの」という言葉は、なかなか殺傷能力の高い呪いではないかと思うのです。
この呪いは「そんな夫を選んだ妻が悪い」の論理にならないか?
結婚して、夫婦に何か問題が起きたとします。身近なところでは夫と意思疎通ができないとか、でっかいものでは夫が警察のお世話になってしまうとか。
そういう時に必ず「結婚前にわからなかったの?」と婉曲に見る目がないとディスられたり、「あなたが選んだ人なんだから」と我慢をすべきだにおわせる人がいます。
「夫婦がうまくいかないのは、オンナが悪い」という考えから生まれた言葉だと思うのですが、そういう人を見るたびに思うのです、結婚って相手の人格に異議申し立てをしませんって契約じゃないのにと。
男女が一緒に暮らし、財布を一緒にし、協力して暮らしてね。ほしい人は子供を作って育ててよ。配偶者以外とセックスしちゃだめだからねという契約ですから、それ以外のことで「こんなはずじゃなかった」「こんな人だと思わなかった」ということは、あって当然です。
「あなたが選んだ人」という考え方は日本に広く浸透していると思いますが、この考え方のせいで初動が遅れることがあると思うのです。
暴力をふるうオトコとつきあってしまった、でも私が選んだ人だから文句は言えない。彼が浮気ばっかりしている、でもそんな人を選んだのは私だからしょうがないというように、どんどん抱え込んでしまう。
誰かに打ち明けたらまた「あなたが選んだ人だから」と責められることを恐れて、逃げるに逃げられなくなった人を私はたくさん知っています。
家庭的な妻と、トラウマ献身妻の違いとは?
世の中には、本当に愛情深くて、家事や家族の世話をするのが好きな女性がいます。そういう人と、トラウマに乗っ取られていろいろ世話をやいてしまう人の違いは「失敗(離婚)したらどうしようと思っているかどうか」ではないかと私は思っています。
フツーに生活していたらうまくいくし、万が一うまくいかなかったら、別れればいいだけのこと。なんの根拠もなく、「失敗したらどうしよう(だから、尽くさなくちゃ)」と思ってる時点で、もう負けているのではないでしょうか。
オードリーは晩年、7歳年下の俳優と暮らしました。彼はあまり有名な俳優ではありませんでしたし、彼との間に子どもはいません。しかし、彼はオードリーを心から愛し、晩年のユニセフ活動を支えてくれました。
オードリーは「式を挙げなくても、私たちはすべてを手に入れています」とコメントしていたそうですが、思い込みだらけの献身を手放したことで、本質的な幸福が手に入ったのではないでしょうか。
LiLiCoはかつて「金曜日のスマたちへ」(TBS系)で、毒母育ちであることを告白していました。若いころに離婚も経験しています。LiLiCoのくどい献身が、トラウマ由来でないことを祈るばかりです。