三浦春馬、その背後に「あったかもしれない」やり切れない関係性

2020.08.07 LIFE

俳優・三浦春馬さんが7月18日にお亡くなりになりました。人気者で俳優としても順風満帆に見えただけに、多くの人が衝撃を受けたことでしょう。週刊誌は三浦さんが家族との関係に悩んでいたと書いています。

 

三浦さんは、実際にそれを匂わせるような発言もしています。

 

「さんまのまんま」(関西テレビ)に出演した三浦さんは、さんまに「やめたいなって思うでしょ?」と水を向けられると、「去年やめたいと思いました」と親にもやめる意向を伝えたと言います。

 

すると、さんまは春馬さんに先んじて「この家(のローン)はどうすんだって感じ?」と家族を養わなければいけない「スターあるある」で返し、春馬さんも「まぁ、でもそういうニュアンスでした」と経済的に頼りにされていることを認めています。

 

さんまが「よくあること」として話しているということは、本当「よくあること」なのでしょう。スターは、家族とのトラブルも乗り越えないといけないのかもしれません。

 

世界のどこでもスターたちは「家族に食い物にされる」

一族からスターが出ると、働かなくなってしまう人がいるのは、洋の東西を問いません。

 

亡くなったホイットニー・ヒューストンも家族にあてにされすぎた一人でした。

 

ネットフリックスで配信中のドキュメンタリー「ホイットニー:本当の自分でいさせて」によると、ホイットニーは娘をシンガーとして成功させるべく、生活のすべてを管理する厳しい母と、娘を溺愛する父の間で育ちました。

 

親の期待に応え、若くして成功したホイットニーは、親兄弟を養います。

 

6歳年下でR&B界のバッドボーイ、ボビー・ブラウンと結婚しましたが、結婚後に映画「ボディーガード」が大ヒット。ホイットニーが世界的な歌姫となったことにボビーが嫉妬し、二人の関係は悪化の一途をたどります。

 

ホイットニーは麻薬に溺れ、体は激やせ。判断力も低下して歌うこともままならなくなります。

 

しかし、ホイットニーの父親は彼女を病院に入れるどころか、一億ドルを要求し、「仕事を全うしろ、そして私にカネを払え」とカメラにむかってはっきり言っています。

 

誰もが知る昭和の大スターも、あの人気アイドルも苦しんだ

昭和の大スター・美空ひばりさんは弟さんたちに苦しめられました。

 

弟さんたちが金銭的その他のトラブルを起こしても、ひばりさんは弟さんをかばい続けます。ひばりさんのお母さんはマネージャー役であったために常にひばりさんと一緒、他の兄弟が待つ家に帰ることは少なかったそうです。

 

お金はふんだんにあったけれど、子どもたちは寂しい思いをしていて、いじめられたりもした。ひばりさんは「自分のせいで」という負い目があり、だからこそ、兄弟の尻ぬぐいを続けていたといいます。

 

近藤真彦との交際中に自殺未遂騒動を起こした中森明菜も、「マルコポーロ」(文藝春秋)で家族との金銭トラブルを告白したことがあります。

 

明菜が出資して兄弟はお店を出しますが、自分のお金でないのでイマイチ身が入らず、店をつぶすことを繰り返す。明菜に内緒で、事務所に借金をしていた兄弟もいたそうです。

 

明菜は事務所と仕事の方針が合わずに、家族に相談したりしたこともあったそうですが、家族にとっては明菜が仕事をしてくれないと、自分たちが干上がるので事務所の肩を持つ。明菜の孤独は相当深かったことと思います。

 

こう書くと、「スターにたかった家族ひどい!」と責めているような印象を与えるかもしれませんが、私はこういう境遇で「やってやるぜ!」とファイトを燃やせるかどうかも、芸能人としての資質の一つなのではないかと思っています。

 

親兄弟にもっと喜んでほしいから、もっと頑張るといった具合に、自分でモチベーションを生み出せるというのは、芸能人としての財産ではないでしょうか。

 

「なんでもやってあげることが愛」と教えられて育った女性の末路とは

しかし、こういう関係は一歩間違うと、絶縁やそれ以上の不幸を生みだしかねない。

 

なぜかというと、日本人は「境界」というものを教わることがなく、オトナになるからだと思うのです。

 

・子どもは(母)親のもの

・好きなら、相手のために何でもやってあげることが愛だ

 

日本にはこんな考え方がはびこっていますので、「それのどこがおかしいの?」と思う人もいるかもしれません。

 

確かに、子どもなりパートナ-なり、相手のために何かしてあげたいというのは愛でしょう。しかし、この考え方のズルいところは「女性だけ」献身を求められることなのです。

 

さらにこういう関係は、一歩間違うと“支配”となります。

 

精神科医の斎藤学氏は「家族依存症」(新潮文庫)の中で「他人に頼られていないと不安になる人と、人に頼ることで、その人をコントロールしようとする人との間に成立するような依存・非依存の関係が共依存症です」と書いています。

 

売れている芸能人は稼ぎ出す金額が桁外れなだけに、おかしな支配・被支配の関係になりやすいのではないでしょうか。

それぞれの「境界」とは何なのか。シンプルなポイント

それでは、こういうおかしな関係に陥らないためにはどうしたらいいのか。それは「境界」を守ることだと思うのです。境界とは何かといえば、実はシンプルで

 

・自分のことは自分でやる

・できないときは、自分で調べる

・ダメだったら、他人を頼る

 

この3点だと私は思っています。

 

ですから、子どもやパートナーができることをしてあげる必要はありませんし、彼らが何か困ったときも、できるところは自分で乗り越えてもらうことが基本になると思います。

 

おそらく、日本ではこういう女性は「かわいげがない」とか「冷たい」と言われるでしょうが、テニスのダブルスを思い浮かべてみてください。

 

相手のエリアに落ちたボールを「愛してるから、やってあげる!」とあなたが拾いにいったら、相手は「信頼されていない」と感じて面白くないでしょうし、あなた自身のスタミナが持たないでしょう。

 

テニスのダブルス理論で言うのなら、芸能人が親にお金をあげることはいいと思います。しかし、それは「お小遣い」であり、仕送りにすると「もっとよこせ」ということになりかねないと思います。

 

また、シロウトの親が仕事に口を出しても効果的なアドバイスはできないでしょうし、子どもにしてみればカネと仕事を握られてしまうのでよろしくないと思います。

 

結婚できないアラフォーが抱えているかもしれない「足かせ」の規範

アラフォー世代の女性から「親孝行のために、花嫁姿を見せたい」というご相談を受けることがあります。

 

日本人にいかに「親孝行すべき」という考えが根強いかを思い知らされますが、おそらく、そんな気持ちではただでさえ厳しいアラフォー婚活は勝ち抜けないでしょう。

 

なぜなら、婚活(というか結婚)は「私と結婚すると、こんなメリットがありますよ」と提示することなのに、この手の相談をする人は「親に喜ばれたい」と親の顔色を窺っているからです。

 

健康で自活できていれば、超親孝行だと私は思っています。

 

私の考えが正しいと言うつもりはありませんが、「〇〇しなくては親孝行ではない」と思っている人は、刷り込みや女性差別を信じていないか、隠れた支配欲を持っていないか、考えてみてもいいかもしれません。

 

三浦春馬さんのご冥福をお祈りいたします。