竹内結子、その報道でバレてしまったイヤな「圧」

女優・竹内結子さんがお亡くなりになりました。トップ女優がなぜ自ら死を選ばなくてはならなかったのか。ワイドショーや週刊誌などが原因探しをしています。

 

人気者の竹内さんだけに番組が取り上げるのもわかりますが、どれだけ話しても正解にはたどりつけないでしょう。

 

それよりも、テレビやネットでの竹内さんに対する意見を見ていると、ちょっと大げさではありますが、日本の女性全体にかけられている圧のようなものを感じずにいられないのでした。

 

圧その①:「母は強し」という思い込み

竹内さんは今年の一月に出産しています。国立成育医療研究センターが出産後1年未満に亡くなった女性を分析したところ、産後うつによる自殺が一番多いと発表しています。とくに35歳以上の出産、初産でその率が高まるそうです。

 

タレント・杉村太蔵は「情報ライブ!ミヤネ屋」(日本テレビ系)において、「今、メンタル的に弱って心療内科に行くのは当たり前のことで。まったく恥ずかしいことではないということを、もう少し広める必要があるかなと思う」と発言していました。

 

竹内さんが産後うつだったと決めつけてはいけないのですが、考えてみてほしいのです。仮にメンタルに何か問題があったとして、生まれたばかりの子どもを置いて、場合によってはご兄弟もいるでしょうに、お母さんがひとりで病院に行けるサポートがあるのでしょうか。

 

実家が近いとか、夫が休めるという人ばかりではありません。一時預かりも申し込みが大変です。自分で「何かおかしい」と思ったとしても、子どもを見てくれる人がいなければ、つい自分のことは先送りにしてしまって悪化してしまうこともあるでしょう。

 

ドイツではお母さんのメンタルをチェックするために、保健師さんが家庭訪問してくれると聞いたことがありますが、日本では赤ちゃんのことを相談する場所はいくつかあっても、お母さんを積極的に助けようとしないのは「母は強し」という思い込みがあるからなのではないでしょうか。

 

圧その②:女性の容姿や年齢ばかり気にする人がいる

匿名で顔も出さずに書けるネットでは、人は露悪的になるものなのかもしれませんが、私が心底呆れたのは、「子どもを産んでぶくぶく太るような妻は生き残るけど、美人薄命」「40代を迎えて、美貌が衰えたことが自殺の原因ではないか?」という書き込みを見たときなのでした。

 

オジサマ御用達の「日刊ゲンダイDIGITAL」では「竹内結子さん、石原さとみに立ちはだかった『35歳が限界』説」と、年齢でおいつめられたようなことを平気で書いている。

 

誰だって年を取りますから、20代の時とまるっきり一緒ということはないと思います。それを言いだしたら、日本の40代の女優はみんないなくなってしまうでしょう。こういう時でも、女性は年齢と見た目を問われるというのは、日本社会の特徴ではないでしょうか。

 

圧その③:「強いオンナ」というくくり

「サンデー・ジャポン」(TBS系)に出演したコラムニスト・山田美保子センセイは、「強い女性というふうに見えていただけにショック」とコメントしています。

 

山田センセイと竹内さんがどれほどのお付き合いかはわかりません。仕事場というオフィシャルな場で「私、こんなに大変です」と泣き言を言わない姿が「強い人」に見えたのかもしれません。けれど、多くの人は何かあっても職場では言わないと思います。

 

いや、いないこともないのです。私は根無し草のようにいろいろな場所で働いてきましたが、どこの職場にも、プライベートでのごたごたがすぐ顔に出たり、不安定になる人はいました。

 

そういう人は感情に蓋ができないという意味では「弱い」のかもしれません。だからといって、会社をやめるほどに体調を崩してしまうとか、仕事で大穴を開けてはいないのです。

 

つまり、不安定に見えても、やるべきことはしっかりできる「強い人」なわけです。結局、どちらのタイプもきちんと仕事はできているわけですから、「強い人」かどうかは個人の主観でしかありません。

 

「この人は強い人、あの人は弱い人」「私は勝った、あの人は負けた」といった具合に、白黒思考で人を2タイプにわけてしまうことを、心理学では「認知のゆがみ」の素と捉えています。「認知のゆがみ」を日常語で言い換えると「おかしな思い込み」ですが、本人にとっては「純然たる真実」であるように思えるのが困ったところです。

 

そもそも二元論で「比べる」こと自体がよろしくない

なぜ物事を二元論的に考えるのがよろしくないのかと言うと、不必要な劣等感を背負い込むモトだからです。

 

山田センセイと言えば、東出昌大の元妻、杏と唐田エリカのファッションについてのコメントで軽く物議をかもしたことをご存じでしょうか?

 

「サンデー・ジャポン」(TBS系)に出演した山田センセイは「実は2週間くらい前にコンビニで唐田さんのお写真を見かけたんですけど、1980円のリュックを背負っていたんですよ。かたや、杏さんは2ケタ、3ケタのセレブなお洋服を着ているということで、これは比べられないなと私は思いました」と話しています。

 

山田センセイにとっては、安物の服とセレブな洋服を着ている杏では、経済力を持った杏の勝ちと言いたいのだと思います。しかし、ここで「勝ち」と持ち出すことで、必ずこういう意見が出てくるはずです。「でも、不倫されたんだから、杏の負けじゃない?」

 

こう考えると、「女は経済力より若さ」という新たな思い込みが生まれるモトになります。思い込みじゃなく、事実じゃないか!と思う人もいるでしょうが、東出は不倫と別居がバレた際、早々に「別居は本当だけど、離婚するつもりはないよ!」とコメントを出していますから、それは違うと言えるでしょう。

 

客観的に考えてみれば、東出は離婚する気もないのに遊び、杏も唐田も収入に見合った好きな服を着ていたというだけのことでしょう。そこに「勝ち」「負け」を持ち込むと、話がどんどんややこしくなり、女性だけが傷つくことになってしまうのです。

 

「強い」「弱い」を考えなければいけないのは、お金が絡むときであって、それ以外では不必要でしょう。

 

女性はこうだという「思い込み」が私たちを追い詰める

女性に対する圧の強い日本では、押し出しが強かったり、はっきり物を言う「強い女」は敬遠されます。その割に、母になった途端に子どもへの愛ゆえにオートマチックに強くなり、文句も言わずにすべてをこなす万能ウーマンになると思われがちです。

 

しかし、人は誰しもそんなに強くもないし、かといって何もできないほど弱くもない。だから、助け合える社会を作る必要がある。そんな当たり前のことを思ったりしたのでした。