田中みな実以外「あざといウリ」が許されない深いワケ

2020.10.16 LIFE

カラー診断や骨格診断。私はたまたまデパートの無料診断を受けて興味を持ち、そこから本を読みだしたのですが、読み終わって「そういうことだったのか、早く教えてくれよ」と半月板が損傷するほど、膝を打ったのです。

 

想像できます?毒母育ちだと「相談する相手」がいない

若いとき、流行の口紅や服がどうも似合わない気がした。こんなとき、円満な家庭で育った読者のみなさんはお母さまなどにご意見を求めるのでしょうが、生憎、うちの母は未だに私の外見を罵ることに全精力をかたむけているタイプ。

 

聞いても一律「おかしい」「わざわざカネをかけて似合わないものを買ってきた」としか言わない。友達に聞いても、むこうも答えにくかろうことは、コドモの私にも想像がついた。

 

私には似合う服もメイクも一つもないのではないかと悩んだ時期も結構ありましたが、冷静に考えれば、はやっているものが必ずしも自分に合うわけではない、それだけのことだったのです。

 

自分と同じ人はひとりとしていないわけですから、似合うものがほしければ、自分を中心に考えるべきだったのに、情報に自分を合わせていた。

 

私の若いころと比べて、今は情報量がとんでもなく多くなっています。便利なことも多々ありますが、若い人はより情報にふりまわされやすくなっているのではないでしょうか。一時期より威力をなくしたとしても、テレビというのは、特に大きな力があると思うのです。

 

人気女子アナをそろえて、罪作りな番組が始まった

10月9日から「あざとくて何が悪いの?」(テレビ朝日系)という番組が始まりました。南海キャンディーズ・山里亮太、田中みな実と、テレビ朝日の弘中綾香アナウンサーが“あざとさ”について語り合うというもの。

 

女性のあざとさは、これまでバッシングの対象でしかなかったわけですが、この番組はあえてそれを肯定しようという意図が感じられます。

 

弘中アナはVoCE(講談社)のインタビューに答えて、「あざといって今やほめ言葉」「最もしっくりくる表現は“処世術”かな。だから私的には好感度の高い人=あざとい人というイメージ」と話しています。

 

弘中アナについて、田中みな実は同番組内で、「食事会でおじさまが食いついてくる」と証言していましたから、弘中アナは実際にあざといで恩恵を受けているのでしょう。

 

番組では新人OLが仕事のできる男性上司への電話メモに、わざと下手な犬の絵と「誕生日まで、あと〇日」みたいな一言をあざとく添えています。そんなメモを弘中アナは「かわいい」とほめていました。

 

人気者の一言というのは絶大な効果があります。オリコン主催の「好きな女性アナウンサー」で一位を取った弘中アナが「あざといのはいいことだ」と言えば、若い人にとっては説得力があるでしょう。

 

「あざとい」をプラスに解釈することが危険だと思うワケ

この番組を見て、そのテクニックをマネしようとする人も出てくるでしょうが、すごくリスクの高い行為だと思うのです。

 

元も子もない言い方をしますが、きれいな人がそんなお茶目なメモを残したら上司はぐっとくるかもしれない。しかし、そうでない人がそんなメモを残しても、おそらく上司は秒でごみ箱に捨てるでしょう。

 

それに、オフィスというのは実は人の目が行き届いた場所ということを忘れてはいけません。そのメモを男女問わず誰かが目にする可能性は高い。メモを見られて「はずかしい」と思うタイプの人は、“あざとい”才能がないと思ったほうがいいでしょう。

 

また、人の恋路に特に興味はなくても、オフィスでの人目をはばからない、なまなましいアプローチを「うへぇ」と思う人もいますし、その手のエピソードはさざ波のようにしずかーに広まっていくもの。「好きな人を手に入れられるのなら、人に何を言われてもいい」と言える強メンタルな人ならともかく、他人の目が気になる人にはおすすめできない作戦と言えるのではないでしょうか。

 

もう一つ、年齢も見逃せません。若き女子なら許される行為でしょうが、そうでない人がやると男性にとっては「怖い」、女性にとっては「イタい」案件になることは必須です。

 

こうやって考えていくと、この番組がリコメンドするあざといウリしていいのは、若くてルックスがよい、もしくはそう若くなくてもメンタルが超強い田中みな実のような人ということになり、そういう人は、そもそもあざといウリなどしなくても大丈夫だろうという原点に回帰すると思われます。

 

「あざといウリ」でトクをするのは誰か?

念のため申し添えますと、「職場で恋をするな」と言いたいのではないのです(むしろ、若い人はもっと恋をすればいいのにとすら思います)。「恋をする」ことと「あざとい」ことはイコールではないと言いたいのです。

 

番組がよしとする「あざとさ」は、どちらかというと、不特定多数の男性をドキドキさせるテクニックであり、これは会社員の女性というより、オファーがあって成立する仕事、芸能人やホステスさんむけのテクニックではないでしょうか。

 

芸能人やホステスさんは「気に入られてナンボ」ですから、そのためにあざとくあるのも当然でしょう。けれど、会社員がこれをやると、老いも若きもクビが絞まるのではないかと思うのです。だって、あざといウリは周囲にイラつかれる可能性が高いわけですし、年をとったらできないわけですから。

 

今、フェミニズムが盛り上がっていて、書店に行くと、いろいろなアプローチでフェミニズムを考える書籍が並んでいます。誰もが「性差別はいけない」という共通認識を持っていると思いますが、「何が女性差別なのか」については議論の分かれるところです。たとえば、私は「女性だから、女性の意見に賛同すべき」という意見には首をかしげてしまいますが、「そのとおりだ!」と思う人もいるでしょう。

 

番組が従来たたかれてきた“あざとい女”を持ち上げたのも、「女性が女性を悪く言うことはミソジニーであり、女性差別」という考え方からなのかもしれません。

 

しかし、「おじさまが食事会で食いついてくる」ような女、“あざとい女”を持ち上げて、若い女性をそちらに誘導するような番組は、トータルで考えると女性を「消費するモノ」と考えていることと同義で、田中みな実や弘中アナとて、その対象なのではないかと思えてならないのです。

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