IKKO、あの人との対比で見えてくる「意外なご配慮」の背景は

毎年、多くの新人が現れて消えていくテレビの世界。人気芸能人の「新しさ」を分析する記事も多く目にしますが、新しいだけでは生き残れないのがテレビの世界です。

 

「新しい」だけではテレビの世界で生き残れない?

2020年を席巻した新人と言えば、フワちゃんを思い浮かべる人は多いでしょう。大御所を呼び捨て、敬語を使わないタメ口キャラ、本番中にも自撮りをするなど、自由奔放なふるまいで話題になりました。

 

「マツコ会議」(日本テレビ系)に出演したフワちゃんは、「(テレビの世界に)しつこくしがみつくとか、長く生き残るぞという意気込みはない」「海外に行って売れたい」と話していました。すでにYouTuberとしての地位を固めている彼女が「テレビの世界で」活躍し続けることは無理なのではないかと私は思うのです。

 

テレビは「何となく見ている」人も多いものですし、YouTubeと違って視聴者はフワちゃんのファンとは限らぬ老若男女です。こういう不特定多数に自分の“新しさ”を受けいれてもらおうとするとき、その分問われるのは”常識”でしょう。

 

「先人を立てる」マツコの姿で見えた、革新と常識のバランス

今やテレビの世界で大御所となったマツコ・デラックスは、最初に見たとき、ものすごいインパクトがありましたが、話を聞いてみると抜群に面白い。当然、いろいろな番組から声がかかり、前にどんどん押し出されていきました。

 

自分の意見を言うときは「てめぇ、このやろ~」と声を張るマツコですが、その一方で芸能人の先輩に対しては「私のようなものが……」という態度をとり続けていたマツコ。

 

番組に呼ばれてお金をもらうわけですから、見せ場を作らなくてはいけない。しかし、そうでないときは先輩に敬意を払う。

 

キャラも大事ですが、どこの世界にもある“常識”を持ち続けられるかは、生き残りのポイントになると思います。

 

“常識”と“新しさ”は、“保守”と“革新”と言い換えてもいいと思いますが、売れている芸能人はこの二つを同時に持っているものではないかと私は思っています。どちらか片方だけでは、見ているほうは疲れる、もしくはインパクトがなくてつまらないのです。

 

エッジの立ったキャラ例外なく「安心なバランス感覚」を持っている

そしていま、保守と革新、そのバランスが一番取れているのが、IKKOサンではないでしょうか。

 

もともとはヘアメイクという裏方だったIKKOサンですが、バラエティー番組に進出。あの「どんだけ~」でブレイクします。

 

料理をはじめとした家事が上手というキャラが浸透したのでしょうか、最近は創味シャンタンやレノアなど、家庭用品のCMにも出演するなど、好感度の高さがうかがえます。

 

IKKOサンの保守性は、「女性のあり方」につきると思います。「男性には尽くす」のが、IKKOサンの流儀のようで、「家事ヤロウ!!!」(テレビ朝日系)では「オトコの胃袋を鷲掴みにしなくちゃいけない」と話しています。

 

料理については「ひと手間かけることが愛情」を信条とし、「デート中にメイク直しでオトコを待たせるなんてとんでもないよね~」という考えの下、バラエティー番組で「一分間でできるメイク直し」の術を紹介したこともありました。

 

IKKOサンの考え方と同じ人もいればそうでない人もいるでしょう。しかし、日本の女性なら、誰でも一度は聞いたことのある「こうすべし」論なだけに、好き嫌いは別にして安心して見ていられるのではないでしょうか。

 

美は努力の結果に宿る。「手の内を明かす」IKKOサンの姿勢

その一方で、IKKOサンはオリジナリティーにも富んでいます。視聴者の非リア充嗜好の影響で、きれいどころの女性芸能人ほど「陰キャです、友達いません」「ずぼらです、美容に関しても、何もしていません」を強調します。

 

しかし、IKKOサンは違う。「今日は早起きして準備した」「美容に月数百万かけている」と手の内を明かしますし、「あたしはそう簡単に落ちない」「軽い女に見られたくない」「抱かれたいオトコが思い浮かばないようじゃ、オンナおしまい」というふうに、一昔前の大女優、もしくは一条ゆかりセンセイの漫画の登場人物みたいなセリフをおっしゃる。

 

テレビの世界には「俳優はお笑いより上」という暗黙の了解があるため、本当の女優さんがテレビで同じことをおっしゃったら、お笑いの人はつっこめない。しかし、IKKOサンの場合、「何言うてんねん」「我々は何見せられてんねん」とつっこめる。ほどよいイタさもあるので、バラエティー的に使いやすいタレントと言えるでしょう。

 

だからといって、調子に乗っているわけではない。IKKOサンは共演者へのお手紙とお土産を欠かさないそうですが、見えないところで常識を重んじていると言えるでしょう。

 

私たちは「一貫した姿勢」に安心する。なぜ一貫できるのか?

IKKOサンは、テレビで「抱かれたい」話をすることが多いような気がします。「ガキの使いやあらへんで」(日本テレビ系)では、IKKOサンが1年365日ベッドを共にしたい男性をあげてカレンダーを作るという企画に挑戦します。

 

実際にベッドインするかどうかよりも、IKKOサンの男性に対しての妄想がこの企画のキモだと思うのですが、同じおネエでもマツコは過去のコイバナをはじめ、男性に対する話をほとんどしないように私は感じています。

 

いや、コイバナだけでなく、マツコは家族の話もあまりしません。

 

週刊誌がマツコのお母さんを取材しようとしたことがあるそうですが、マツコは「きれいな女優さんのお母さんじゃないんだよ」と怒っていました。

 

お母さんが一度取材を受けてしまうと、他社も取材することではあろうことは目に見えていますし、断りにくくなることでしょう。プラスして「お母さんのプライバシー」に配慮したのだと思います。

 

一方のIKKOサンのお母さんやお姉さんは、バラエティー番組に出演しています。

 

性や恋愛、家族の話をしないマツコは「自分に関係する人のプライバシーを尊重している」のかもしれません。もしそうだとしたら、それは配慮もしくは常識というものでしょう。

 

対するIKKOサンは常々「生まれ変わってもIKKOになりたい」と話していますから、自分という存在や人生が気に入っていて、すべてをオープンにしたいのかもしれません。

 

IKKOサンがもてはやされるのは、メイクの腕や美意識、トークスキルもあるでしょうが、「自分が大好き」と言える人特有の生命力を人々が求めているからかもしれないと思ったりしたのでした。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

スポンサーリンク