更年期、私はもう「用なし」なのかな。東京に居所がなくなってしまい…
閉経の前後5年を一般に、更年期と呼びます。日本人の閉経の平均年齢は50歳なので、45~55歳の世代は更年期に当たる人が多いもの。身体の不調に苦しみ「更年期障害」の状態に至る人もいます。
私ってもう更年期なの? みんなはどうなの?
オトナサローネは同世代の女性100人がいまどのような更年期を迎えているのか、そのあり方を取材しています。(ご本人の年齢や各種の数値は取材時点のものです)
【100人の更年期#53】
プロフィール
Oさん 60歳、独身、大分県在住。4年前まで東京で一人暮らしをしていた。現在は地元に帰り高齢の母の介護をしながら自宅サロンでマッサージ店を開業。
50歳を過ぎ、突如として「仕事についていけない」自分に気がついた
実家の大分から東京に出たのが20歳の時でした。以来30年間ずっと1人で頑張っていたんです。
もともと、おっとりとした性格なのでバリバリなキャリアを築こうとは思っていなくて。
ずっと公営の賃貸マンションに住んでのんびりと暮らしていました。
結婚にも興味がなく、気がつけば50歳に。
仕事は外資系大手の国際輸送物流会社で事務をしていました。
煩雑な書類が多くてわりと面倒なんですけど、地道にコツコツ仕事するのが好きだったので苦になりませんでした。
休日には同僚や友人を家に招いてパスタを作ったり、味噌を仕込んだり。
派手なことは好きではないので、外出するより家で過ごす方が楽しかったですね。
でも2011年、東日本大震災を境に会社の環境がガラッと変わりました。
それまで書類は手書き。PCもワードとエクセルくらいだったのに、全てがオンライン化されたんです。
マルチタスクっていうんですか? 全くついていけなくなってしまいました。
若い人たちのしゃべるカタカナ語もさっぱりわからなくて。
その頃から身体の変化が起こります。
PCを1日中見ているせいで、目がしょぼしょぼして、肩こり頭痛などを起こすようになりました。
毎日緊張しているせいもあってか、ホットフラッシュで汗がどんどん出てきます。
うまく話せなくなって、ろれつが回らないようになってきました。
仕事の話を聞いていても、右の耳から左の耳へ抜けていきます。
自分の身体と頭が一致していない感じってわかりますか?
意識だけ少し頭の上にあって見下ろしているみたいなんです。
日々、ため息の回数が増えて、同じくらいの歳の人でもうまく対応できている人もいるのに苦手意識が先に立ってPCの前に座るだけで緊張するようになってしまいました。
手書きじゃダメなの? カタカナ語を覚えなくちゃダメなの? と自問自答の日々が続きました。
今思えば、この頃更年期が始まっていたんでしょう。
でも、仕事についていけない自分のせいだと、更年期の症状だとは一切気がつかず婦人科すら思い浮かびませんでした。
ふとした拍子に骨折して「骨密度の低い」更年期を思い知る
大分には母が1人で住んでいるので、必ず夏休みと正月には帰るようにしていました。
兄がいますが大阪で家族と暮らしているので、母のことはずっと気になっていたんです。
ある年末に実家に帰った時、電球を取り替えていて、滑って脚立から落ちてしまいました。
左手首がボキッと音を立てて、ものすごい痛みが走りました。
年末で大きな病院が空いていなくて近所の病院で固定だけしてもらい、東京に戻ってきてから総合病院で再度診察。
結局複雑骨折していたんです。
骨がもろくなっていて骨密度を測ったらひどい数値でした。
医師からも「年齢的に更年期ですね」と言われました。
結果、手術をしなくてはならず、左腕が使えないのでますます仕事が辛くなるばかり。
そんな時、心配した母が電話で「帰って来れば?」と言ってくれたんです。
このまま東京で定年まで働く気力が失せていたので、それもいいかなと考え始めるようになりました。
でも、故郷へ帰ったら、私はどうやって「食べていく」のかな?
いざ帰郷を考えてみたところで、大分には私のような年齢で再就職できそうな仕事はありません。
母と一緒に住めばもちろん家賃はかかりませんが、生活費は必要。
そこで自分に何ができるか、改めて考えるようになります。
もちろん高度なPCの使い方などもう学びたくもありませんし、立ち仕事や工場でのラインで働くのもちょっときつい。
ちょうどその頃、複雑骨折のリハビリで理学療法士さんにお世話になっていて「こんな風に人の役に立つ仕事もいいな」と思い始めました。
なのですが、今更、国家試験なんて無理だし、若い人たちのなかで勉強する気にもなれず。
でも、もしかしたら身体の不調を感じる人たちを違う方法で癒してあげることができるんじゃないかとも思ったり。
私も会社で仕事が辛くなった時には整体やマッサージに通い、疲れを取り除いてもらっていたからです。
近い将来、大分へ帰ることも考慮に入れて、まずは自分から動いてみることにしました。
ずっと会社で事務仕事しかしてこなかった自分にとっては、とても大きなチャレンジです。
今の生活を崩さずに、できることだけやってみようと仕事帰りと休日を使って、マッサージの学校に入学します。
骨折した手首はまだ十分に完治はしていませんでしたが、最初は座学で生理学や筋肉の動きを勉強し始めました。
60歳のいま。東京を離れて得た「ここでよかったんだ」という安心感
学校に通い丸々2年間かけて、無事に修了証をもらうことができました。
初めて味わう達成感でしたね。
仕事では相変わらず、どんどん進んでいくシステム化と若い人たちの早さについていけない毎日。
でもその頃には友人を自宅に招いてフルコースでマッサージの練習台になってもらったり、半年ごとに帰郷して母にマッサージをしてあげたり、感謝してもらうという体験が仕事のストレスを帳消しにしてくれました。
身体のことを学びましたから、セルフマッサージをしたりアロマを調合したりして自分の身体も大切にするようになりました。
一時期、酷かっためまいやろれつの回らなさも、なんとなく緩和してきたように思います。
そうなってくると、もう東京で辛い仕事をしている必要もないな、と気持ちを切り替えられるようになりました。
気がつけば55歳、更年期の卒業だったのかもしれません。
仕事を辞めて大分に帰ることを決めました。
そして、実家の空き部屋を改装してマッサージの個人サロンを開こうと決意します。
もともと母が1人で住んでいて、近所の方がお茶を飲みに来たり開放的な空間でもあったので、母の同意もすんなりともらえました。
田舎ではありますが私1人の生活費くらいは工面できそうです。
会社では早期退職の枠に入れてもらい、退職金をもらって、さらに半年間は失業保険をもらいながら実家と東京を行き来することにしました。
ここでも地道な性格が幸いしたのか、早期退職、公営マンションからの引越手続き、実家の改装、サロンのオープンまでつつがなく進みました。
いま、大分に戻って4年経ちました。驚くくらいに、東京には全く未練はありません。
地元でゆっくり過ごすことが一番だったんだと、この年齢になってしみじみ感じています。
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