まさか私が「卵巣がん」に! がんになって気付いた自分の身体の守り方
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日本人の2人に1人が「がん」と診断される時代。女性は乳がんがもっとも多く、近年は卵巣がんも、子宮頸がんの数を超えるほど増えています。一方で、ワクチンの普及などで認知されてきた子宮頸がんに比べ、卵巣がんはあまり知られていません。
前回の『実は子宮頸がんより多い「卵巣がん」。どんな病気?予防法は?がん専門医に聞きました』に続き、今回は卵巣がん経験者の吉田ゆりさんに体験談を聞きました。
※個人の見解を含んでいます。全ての卵巣がんが同様な経緯を示すわけではありません。
下腹が妊婦みたいな大きさに。産後太りだと思ったら、まさかの…
浅見:今日はよろしくお願いします。まず、どうやって体の異変に気付いたか教えてください。
吉田:下の子を出産した1年後のことでした。当時3歳の長男が、じゃれて頭を私の下腹部にぶつけた瞬間、強烈な痛みが走ったんです。それはもう、陣痛に匹敵する痛み。脂汗が滝のように流れて、手のひらも汗でぐっしょり。あまりの痛みに、かかりつけの婦人科クリニックへ駆け込みました。エコーで診察した結果、「かなり腹水が溜まっていて、卵巣が腫れています。大きな病院で診てもらってください」と言われました。
浅見:それまで、なんの兆候もなかったのですか?
吉田:実は、けっこう前から下腹が張っていて、妊婦と間違われて電車の席を譲られたりしていたんです。でも、産後太りだと思って、あまり気にしていませんでした。他に、うつぶせになると下腹部に何かゴロゴロした感じもありましたが、長男を妊娠している時に卵巣嚢腫(らんそうのうしゅ)の手術を受けていたのでまさかまた卵巣が腫れているとは思わず、以前から指摘されていた子宮筋腫かな?と勝手な想像をしていました。しかし、大きな腫瘍ができている卵巣がぐるんと回転したことであの激痛が起きたことを後から医師から教えられました。
浅見:妊娠中に手術……。大変な思いをされたのですね。前から婦人科のトラブルがあったのですか?
吉田:中学生のときから生理痛がひどくて、尋常ではない痛みになったときに病院で診てもらったら、右の卵巣に良性の腫瘍があると分かって、そのとき初めて手術をしました。
高校生になってカナダへ留学したのですが、手術をしたことなんて忘れて過ごしていました。ですが、しばらくしてまた痛みを感じるようになって……。病院へ行ったとき、医師から「自分の身体は自分で守り育てるものだよ」と諭されました。自分の健康を作れるのは自分しかいないと教わった私は、このときから低用量ピルを飲み始めました。
ピルのおかげで生理痛は軽減しましたが、結婚して、二人目の子どもを生んだ1年後、また痛みに襲われたんです。
摘出してみないとわからない卵巣がん。全摘?残す?下した決断は
浅見:大きな病院へは、すぐに行ったのですか?
吉田:その日のうちに行きました。CTとMRIの検査後、3時間くらいで結果がでて、医師から「卵巣が大きくなっています。ぼこぼこしていてあまりいい顔つきではないので、たぶん悪性だと思います」と言われました。
浅見:「たぶん」なんですね。CTとMRIではわからないものなのですか?
吉田:がんかどうかは生検(病変の一部を採って、顕微鏡で詳しく調べる検査)をすることで診断するそうです。ですが、卵巣がんができる卵巣は体の奥深くにあり、超音波(エコー)検査やX線検査などを行いながら体の外から細い針を刺して組織を採ることが難しいようで、そのため、手術で摘出した病変を調べないと、がんかどうかを確定できないということでした。
ただ、すでに右の卵巣が卵巣腫瘍茎捻転(らんそうしゅようけいねんてん/卵巣腫瘍がお腹の中で捻じれている状態)を起こしていて、これが激痛の原因なので取ったほうがいいと言われました。取ってすぐに手術中に迅速病理診断を行うと、数時間でがんかどうかが6割くらいの精度で分かるらしく、「その結果ががんでほぼ間違いない場合、卵巣・子宮・体網・リンパ節切除をしますけどいいですか?」とその場で聞かれました。さらに、手術についても、開腹して隅々まで病変を探して取り出すか、数ミリの穴をあけるだけで済むけど悪性腫瘍だった場合再手術もありうる腹腔鏡手術、どちらにしますかって。
この日、この瞬間、一度に「悪性腫瘍かもしれない」「卵巣腫瘍を取ります」「開腹しますか」「全摘しますか」って、すべての決断を迫られました。
浅見:壮絶な瞬間です。ご主人もさぞ驚かれたでしょうね。
吉田:夫は呆然としていたので、自分で決断するしかないと思いました。そして、開腹手術をして、がんだったら卵巣も子宮も摘出することに決めました。
全摘をすれば、子どもは産めなくなります。夫はまだ子どもを欲しがっていましたし、医師からも、ステージが早ければ子宮や卵巣を残せると言われました。でも、私はいま生きている家族のために自分が健康で、より長く生きることのほうが大事。だから、開腹して腫瘍をしっかり取り、再発リスクを下げたい、だから全摘したいと思ったんです。夫は「自分の身体の事だから、あなたの決断に賛成するよ。」と言ってくれました。
親が病気のときに子どもを預けられる場所がないと知った
浅見:診断日から何日で手術しましたか?
吉田:診断された日に入院して、4日後に手術をしました。一時帰宅の選択もありましたが、痛み止めの薬だけで激痛に耐えるのは無理だと思い、入院しました。
手術日までに、二人の子どもを一時的に預けられる場所を探しました。夫はシフト制の仕事で早朝出勤や深夜帰宅が多いため、お願いできません。夫の両親が隣に住んでいるものの、義父が末期がんで義母は付きっきりで看病していたので、とてもじゃないけれど頼めず。私の両親は離れた場所に住んでいて、こちらに来るのに3時間はかかるので、毎日来てもらうことはできません。
市役所の保育課に相談すると、「こんながん治療をする方からの相談を受けたことがないから分かりません。市としてご紹介できるのはファミリーサポート制度くらいです。あとはご自身でお調べください。」と言われました。その後ファミリーサポート制度や民間のシッターサービスに問い合わせをしましたが、早朝や夜に幼児の保育をお願いできる人は見つけられませんでした。そして児童養護施設にも相談しましたが、「虐待通報があったわけではないし、近くに家族が住んでいるからダメです」と断られ目の前が真っ暗になったのを今でも覚えています。
浅見:お子さんは無事に預けることができましたか?
吉田:結局緊急で子供を見てくれる場所やサービスは見つけられませんでした。そこで夫が急遽休職して、家にいてくれることになりました。夫も、二人目の子どもが生まれて、いま以上に頑張って働こうと思っていた矢先の休職で、とても不安だったと思います。夫を休職させてくれた勤務先にも、感謝です。
腫瘍は取ったのに思うように動けず、うつ状態に
浅見:手術後、何日で退院できましたか?
吉田:2週間も経たずに退院しました。長期入院を覚悟していたので、ちょっとびっくりでした。手術の翌日から歩いていましたし。今の時代、病院はあくまで治療する場所で、療養は家でするんですね。
退院した日は「さあ、もとの生活が戻ってきた!」と思いましたが、実際は手術で体力が著しく落ちていて、想像以上に体は動きませんでした。入院中は食事も掃除も至れり尽くせりだったのに、退院したら自分でやらないといけない。だけど体は前ほど動かない。手術で開腹したせいか、笑ったり動いたりして腸が動くと内臓が痛い。なのに、子どもは平気でお腹にぶつかってくる。公園で遊ぼうという。痛みは24時間続き、ついにはうつっぽくなり、「なんでこんなに何もできなくなってしまったんだろう」と自分を責めるようになりました。
浅見:ご主人もつらかったでしょうね。
吉田:あのときは夫も必死で、当時のことはあまり思い出せないそうです。子どもが泣いても私は何もできないし、かといって隣の両親に泣きつくわけにもいかないし。誰にも相談できず、つらかったと思います。後になって、がん相談支援センターなど本人や家族が相談できる窓口があると知りましたが、生活に必死な中では、相談場所を探す余裕がまったくありませんでした。
うつから救ってくれたのはセカンドオピニオンだった
浅見:はっきりとした病名は、いつ分かりましたか?
吉田:退院から2週間後に結果が出て、卵巣がんのステージ1c(腫瘍が卵巣または卵管内のみ転移はしていない。被膜が破れたり、腹水などにがん細胞が含まれたりしている状態) でした。再発リスクを抑えるための抗がん剤治療をするか聞かれましたが、当時は、日帰りで抗がん剤治療ができることを知らなくて、再度入院するのは今の家族の状況を考え現実的ではないと思い、断りました。すると、本当に断ってよかったのかが気になり始め、また落ち込んでしまって。うつ状態は2カ月ほど続き、見かねた妹が「セカンドオピニオンを受けてみたら?」と言ってくれました。妹は、看護師なんです。
もう病名も分かって手術も終わっているのに、なんで今さらセカンドオピニオン?と思いましたが、何か意味があるのだろうと、病院へ行ってみました。そこで医師が「手術をした医師も吉田さんも、ベストな選択をしていますよ」と言ってくれたんです。そのとき私の中で「これでいいんだ。前と同じようにはできないけれど、いまがベストの状態なんだ」と気持ちが前向きになりました。
がんになって家族に良い変化もあった。でもやっぱり、がんにならないことがいちばん
浅見:がん治療を通して、ご家族にどのような変化がありましたか?
吉田:夫が子どもと向き合う時間が増え、子どもにとても慕われるようになりました。定年していた70代の父も、家事や育児を手伝ったことで、人生の新たな役割を見つけたと喜んでいます。
私自身の変化で大きかったのは、卵巣と子宮を全摘したことにより生理がなくなるので、生理のたびにパフォーマンスが低下するストレスから解放されたことですね。あと、身体の声を聞いて無理に無理を重ねないようになりました。身体は自分で育てていくもの。寝て、食べて、動くことが最高の薬。子どもにも伝えていこうと思います。
がんになって得たこともありますが、やはり罹患しないに越したことはありません。何度も言っているように自分の身体は自分で守り育てるしかないので、定期的な検診などの心掛けは必要だと思います。諸外国では、娘が初潮を迎えた際に、かかりつけの産婦人科医をプレゼント(紹介)することがあると聞きます。子供の将来も考えて、そういう慣習も参考にしたいですね。
浅見:そうですね。卵巣がん検診は、厚生労働省が推進するがん検診の対象に入っていませんが、子宮がん検診時にオプション(経腟エコー)で受けられますし、婦人科でも調べられるそうなので、私もまずは次回の検診で相談してみようと思います。
⇒卵巣がんの治療と生活に関する総合情報サイト(卵巣がん.jp)はこちら
吉田 ゆり(よしだ・ゆり)さん
卵巣がん経験者。国家検定2級キャリアコンサルティング技能士、国家資格第一種衛生管理者、メンタルヘルス・マネジメントⅡ種、両立支援コーディネーターなどの資格を持つ。
浅見 悦子(あさみ・えつこ)
主婦の友社・書籍出版部編集者。「自分らしく自由に自立して生きる」をコンセプトに『OTONA SALONE』を2016年5月に立ち上げ、初代編集長に就任。ウェルネス事業部部長を経て、2023年4月より現職。自らカラダを張った本音とリアルな記事を執筆することを得意とし「40代編集長の婚活記」がリアルで共感する、と話題に。著書に『恋ができない40代が運命の人を見つける17の方法』(主婦の友社)、『40代ご無沙汰女子のざんねんな婚活』(小学館)がある。美容編集者歴27年、香りと感触にこだわる美容健康マニアで化粧品やアロマテラピーの資格も持つ。
取材・文/力武亜矢 撮影/畠山あかり
【提供】アストラゼネカ株式会社