梅宮アンナが赤裸々に語る「娘の不登校体験」。すべての親を励ましたい、私たちは大丈夫だって#3
モデル・タレント、梅宮アンナさん。20歳でファッションモデルとして芸能界にデビュー。ファッション誌『JJ』の表紙を飾り続け、CMにもひっぱりだこに。30代では活躍の場をTVバラエティ番組にも広げ、まさに老若男女問わずお茶の間の話題をさらい続けてきました。モデルとしてこれだけ全年齢に認知度の高い人は他にはいません。
プライベートでは、時代を象徴する人気モデルでありながら恋愛事情を隠さず、そのつど自分の気持ちをストレートに吐露するスタイルに賛否両論が集まり続けます。28歳で結婚、29歳で長女を出産、そしてシングルマザーに。
そんなアンナさんが47歳のとき、父で俳優の梅宮辰夫氏が死去。偉大なる父とカリスマの娘、親子でお茶の間に愛されたファミリーの「看取り」は世間の耳目を再び集め、最近では「親が亡くなった後の始末」についての壮絶な体験を語る機会を求められることも増えました。
百々果さんのお受験体験から、不登校の問題、お金の教育や自立して生きる人間にするための教育方針など、アンナさんが文字通り七転八倒しながら取り組んできた数々の子育てエピソードを語ってくれました。3話目は「百々果さんの不登校」にまつわる秘話。
娘の二度の不登校。最初は小学校のときだった
――アンナさんも不登校気味だったことがあったというお話を伺いましたが、娘の百々果さんはいかがでしたか?
百々果が小学校5年生のとき、お友達との関係がこじれてしまって、学校に行きたくないと言い出したんです。よくよく話を聞いてみましたが、百々果が悪いとも思えませんでしたし、彼女の気持ちもよくわかったので「行かなくていいよ」と言いました。
このとき、この子は随分と意志がはっきりしていて、ひとりでも平気な精神を持っているんだなと思いました。そして学校の先生にも、親にもきちんと自分の気持ちを伝えることができる子なんだなあと。
結局、10日後くらいに、相手の子が謝ってきたのですが、百々果は許さなかったんです。私は、そのときもう好きなだけやらせようと思いました。
――不登校の間、不安にはなりませんでしたか?
なりません。むしろ「ねーねー、一緒にディズニーランドに行こうよ」って私から誘って、平日のディズニーランドで遊んだりしましたね。
私は、親に学校へ行きたくない理由やつらい状況を理解してもらえず、心は瀕死の状態だったし、言ってもどうせわかってもらえないからと心を開くことができなくて。だから私は、そういう親になっていないんだって安心したくらいです。
結局、もう1週間くらいたったところで「このまま行かないと、留年することになると思うけどいい? 来年から年下の子たちと授業受けることになるよ」と。脅すのではなく、この先に待っている現実を淡々と伝えたら、「う〜ん」と幼いながらに考え込んでいました。
2〜3日して「留年はカッコ悪いから行く」と言って、また通い始めました。
——やっと学校に行ってくれた瞬間、やはりホッとされましたか?
いや、学校に行くことについて特別ホッとしたわけでもなく、ただ「元気になってよかったな」って思いました。
というのも、それまでも、ときどき、朝「今日、学校行きたくな〜い」と言い出すことがあって、私は必ず「いいよ〜、行かなくて」って答えてました。毎日同じ気分じゃないし、気持ちが疲れることもあるしね。
「そのかわり明日は行ってよね〜」とは軽くつけ加えていました。先にお話ししたように、自分自身が合わない学校に毎日通って、小学校、中学校と心が傷だらけだったので、無理に行かせることがいいこととは思えなかったんです。
母のクラウディアさんは(私は母を「さんづけ」で呼びます)、娘を学校に行かせようと努力しない私に「甘い!」って怒ってましたよ。百々果にも「学校行きなさい!」って怒ってましたし。
私は、学校に無理やり行かせることよりも、子どもが「学校に行きたくない」、「今、友達とうまくいっていない」などと早めに親にSOSを出せる関係を築くことが大切だと思っています。
なぜなら私自身が「親に言ったって、どうせ行かなきゃダメって言うんでしょ」って思っていて、「学校に行きたくない」と誰にも言えず、子ども心にすごくつらかったから。
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