「専業主婦のあなたは無職」突きつけられた現実に大号泣…からの経営者への快進撃!

2024.03.18 WORK

吐き捨てるように言われた「専業主婦は無職です」こんなに家族のために尽くしているのに…!?

愛する人との結婚。幸せの絶頂期は、ずっとこの幸せが続くと信じていたのだが。

今から20年ほど前のこと。当時の藤川さんには、まだ幼い子どもがいて、家事は当然のこと、育児、親の介護にと日々忙しく過ごしていました。そんなある日、車の運転中に一時停止を無視してしまったところを警察に見つかり、交番へ出頭しなければならないことに。

 

「手続きのために交番へ行き、名前や住所などの書類記入をしていたのですが、自分の職業を選ぶ欄でどれにチェックを入れたらいいのか分からなかったのです。会社員、会社経営、医師などの職業に続いて学生、そして最後に無職。あれ、私はどれに該当するのだろう。それで、『お巡りさん、私、どれにチェックを付けたらいいのですか?』とたずねました。するとそっけなく『あなた、主婦ですよね。じゃあ、無職です』」

 

藤川さんは戸惑いました。

 

「『えっ!?いや、私、赤ちゃんを育てていますし、自宅で父の介護もしていますよ』と伝えたら、『あぁ、それはね、無職っていうんですよ』と突き放すように言われてしまって。それを聞いた瞬間、え、知らなかった、私って無職なの?もう大ショックですよ」

 

“私、今、こんなに頑張っているのに…”

 

「出かける場所といえば、家とスーパー、幼稚園、父が通う病院との往復ばかり。毎日ノーメイクで小汚い格好をして髪振り乱して頑張っている。私ってなんのためにいるのだろうって思ったら、悲しくて悔しくてたまらなくなって。もう人目もはばからず号泣しちゃったんです」

 

その頃は、今よりも体重が15キロも重く、いわゆるイケてない女性だったと藤川さんは振り返ります。

 

「20代前半の頃は毎日がキラキラしていて、女性も一生、好きな仕事をして頑張れると思っていました。まさか自分がそんな惨めは思いをすることになるなんて、思ってもみませんでした」

 

 

まさかの外国人タレントからのアドバイス。そして念願のスチュワーデスへ

英会話習得に情熱をかけていた高校生の頃。

藤川さんは東京生まれ。思春期にバブル時代が到来する世代です。中学2年生の時にテレビで大人気だったドラマ「スチュワーデス物語」に影響を受け、将来の夢はスチュワーデス(現キャビンアテンダント)になること!と、憧れを抱きます。

 

「テレビを見て、スチュワーデスになるしかない!と決めたんです。私はのめり込むタイプなので、そうだと決めたらすぐに本屋さんに行って、スチュワーデスになるためにはという本を探して読みました。そしたら、英語力が必要です、と書いてあって。だから、そこからはものすごく英語を勉強しましたよ」

 

藤川さんは、学校以外にも英語専門塾にも通い、本腰を入れて英語の勉強を始めました。ところが、専門塾で学べる英語は期待していたものとは違っていました。

 

「海外のテレビドラマで観るような、生の英語を身につけたかったのですが。こうなったら、外国人と直接話すしかない!と思ったのが高校1年生の時」

 

そこから藤川さん持ち前の行動力が発揮されます。

 

「どうしたら日本にいながらにして、外国人と生の英語で会話ができるのか?そうだ、大きなホテルに行けば外国人がいるはず!と思いつき、成田空港からのリムジンバスが停留するホテルへ行ってみることにしたのです」

 

その時に選んだのが新宿のヒルトンホテル。高校1年生の藤川さんは、ホテルのバス停留所でリムジンバスを待ち、到着するたびに降りてくる外国人に「ハロー、ハワユー?」と話しかけて英会話のきっかけを自分で作ることをはじめます。

 

「到着した外国人客にしれーっと付いていって英語で話しかけ、ロビーでそのまましばらくおしゃべり。最後はハバ・ナイスタイム・イン・ジャパン〜!」とか言って(笑)。休みの日は通い詰めましたよ。ホテルの人も、きっと変な女子高生がいるなと気になっていたと思いますが、別に害を与えるわけではないし、見逃してくれていたのでしょうね」

 

そんなある日、とある外国人がロビーでウロウロしている藤川さんに声をかけて来ました。

 

「『ねえ、君、そこで何やをってるの?』と聞かれ、『英語を話したくて』と事情を説明すると、『じゃあ、ここもいいけどさ、帝国ホテルに行ったほうがいいよ。もっと質のいい英語を話す人が多いと思うよ』と。『へー、そうなんですね、じゃ行ってみます』などと話をしたんです。で、最後に『君、僕のこと知らないの?あのね、これから多分売れてくるから覚えておいてね。僕の名前はデーブ・スペクターっていうんだ』」

 

後日、テレビでタレントのデーブさんを見つけて、「あ〜〜っ、あの時の!!」とびっくりしたのだとか。当時、デーブさんは、ホテル住まいをしていたそうなので、週末になるとやってくる女子高生のことが気になっていたのでしょうね。

 

アドバイスを受けて、藤川さんは英会話のレッスンの場を帝国ホテルへ移し、着実に英会話を身につけて行きました。

 

その後、海外留学を経て、短大卒業後は夢だった日系航空会社のキャビンアテンダントに。その翌年には英会話力を存分に生かしたい思いで外資系航空会社に転職も果たしました。中学時代から夢だった仕事で世界中を飛び回り、誰もが憧れるような充実した日々を送ることになったのです。

 

最初に就職した日系航空会社では、会社のパンフレットに登場する先輩社員に抜擢。

 

【前編】では、キャビンアテンドになりたい!と心に決めた藤川さんが夢をかなえるまでの軌跡についてお伝えしました。

▶つづきの【後編】では、藤川さんの生き方に大きな影響を及ぼすことになる義理母からの最期の言葉についてお伝えします。__▶▶▶▶▶

 

 

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