
不倫相手を忘れられない…。既婚男性にすがる35歳女性の孤独は(前編)
忘れられない不倫
咲希は35歳、実家住まいで両親と猫と一緒に暮らしながら契約社員として長らく勤めていた会社でやっと正社員としての登用が決まったところだった。「これで両親を安心させられる」とうれしい報告をもらったのが1ヶ月前で、そのときは将来の安定を語るなかに結婚も出産も出なかったのを覚えている。
「この間、◯◯であの人を見かけちゃって、苦しくて」
ふたたび電話がかかってきたとき、咲希は先日と打って変わって落ち込んでいた。
「あの人って、◯◯さん?」
「そう」
半年ほど前まで、咲希は既婚男性と不倫関係にあった。男性のほうから「会うことが難しくなった」と一方的に終わりを告げられ、追いすがることもできなかった咲希はそれから何週間も苦しみ、不眠症の手前まで思い詰めていた。
咲希からその男性の話が出なくなったのはいつからだったか、未練に仕舞いをつけたのだろうと思ってあえて尋ねないでいたが、今の咲希の様子を見ると口にしなかっただけで気持ちは片付いていなかったのだなとわかった。スマートフォン越しに聞こえてくるため息は、あの頃「もう消えてしまいたい」と泣きながら話す姿を思い出させた。
「狭い街だもんね、ばったりは避けられないよね」
無難な返事だなと思いながら言葉を返すと、
「ひとりだったの、あの人。それでまた昔を思い出しちゃって」
と、咲希はまた深く息を吐いた。
咲希が過去の不倫相手と遭遇したというその場所は、ふたりが何度かデートで向かった大型のショッピングセンターだった。人目を避けなければいけない関係でありながら、知り合いに会う可能性が少しでも減る平日を選んで足を向ける、「普通の恋人らしく」という男性の提案だった。
「上書き」できない思い出
咲希がその場所で男性の姿を見かけて動揺したのは、別れた後に知り合った男性とのデートでもそこを使っていたことも、「記憶の重なり」となって重い衝撃を与えたのかもしれなかった。新しい恋人候補だったその独身男性とは、咲希のほうから「性格が合わない」と疎遠にして終わっていた。
新しい出会いを咲希本人が正面から歓迎していないことは、不倫相手との逢瀬をはしゃぎながら話していたときよりずっと低いテンションで報告する様子からもわかっていた。それでも、咲希は何とか前に進みたくて可能性にすがり、そのショッピングセンターも楽しい思い出の上書きがしたくて選んでいたことは想像がついた。避けるのではなく、あえて別の男性と足を向けることで過去にしたかったのだ。
その目論見は結局「あの人と比べてしまう自分がいるの」と失敗に終わっていて、それも咲希から自信を奪っていただろう。その場所で未練の残る相手との邂逅は、その人との幸せな記憶が蘇ることを止められない。誰かと電話で話さないと抱えていられないほどの苦しみは理解できた。
「話しかけたりはしなかったけど、久しぶりに見たら昔と変わってなくて、懐かしくなっちゃった」
「そうか」
「新しい相手がいたりするのかなあ……」
咲希がぽつりとつぶやいたのは、自身が一番おそれていることだろうと思った。
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