平安時代、貴族の娘でさえ「安定した人生」は送れなかった!生活困窮と隣り合わせな「運ゲー」な生き方とは【NHK大河『光る君へ』#19】

2024.05.13 LIFE

*TOP画像/定子(高畑充希) 一条天皇(塩野瑛久) 大河ドラマ「光る君へ」19回(5月12日放送)より(C)NHK

 

紫式部を中心に平安の女たち、平安の男たちを描いた、大河ドラマ『光る君へ』の第19話が5月12日に放送されました。40代50代働く女性の目線で毎話、作品の内容や時代背景を深掘り解説していきます。

 

 

定子を取り巻く環境が少しずつ変化。背景には伊周が起こすトラブルも

本作では、伊周(三浦翔平)が道長(柄本佑)に政争で負けて以降、定子(高畑充希)の近辺にも不穏な空気がただよいはじめます。

 

彼女は道隆(井浦新)の娘に生まれ、一条天皇(塩野瑛久)に幼くして入内し、不幸とは無縁の少女に見える時期もありました。

 

しかし、道隆派の力が弱まるにつれて、彼女が置かれる状況も変わってきます。17話では父・道隆、18話では兄・伊周から「皇子を…皇子を産め」と言い詰められていましたが、精神的に堪えたはずです。

(井浦さん、三浦さんの鬼気迫る演技は圧巻。高畑さんの凛としたたたずまいもステキでしたね)

 

兄・伊周は人柄や言動が公卿の間で度々問題視されていましたが、道長との政争に負けるとさらに悪化します。ついには、花山院(本郷奏多)の女性関係を誤解し、彼を矢で射止めるという大問題を起こしました。

 

隆家(竜星涼) 伊周(三浦翔平) 大河ドラマ「光る君へ」19回(5月12日放送)より(C)NHK

 

放たれた矢をきっかけに、定子の宮中における立場もさらに変わってくると予想できます。第20話の予告では心を乱した彼女の姿がありましたが、今後どうなるのだろうか。

 

 

【史実解説】定子の不遇とは?うしろだてを失えば身分の高い女性も立場がなくなる

藤原定子は風流があり、会話の端々に知性を感じられるステキな女性として伝わっています。

 

そんな定子ですが、父の亡きあとは苦難が次々とおそいかかります。

 

父・道隆の亡きあと、道長(道隆の弟)と伊周(道隆の息子)の間で関白をめぐって争いが起きます。

 

道隆は息子・伊周が後を継ぐことを望んでいましたが、詮子が息子・一条天皇に道長を関白にするよう頼んだことで状況は変わります。

 

一条天皇に道長を関白にしてほしいと泣きながら頼む詮子(吉田洋) 大河ドラマ「光る君へ」18回(5月5日放送)より(C)NHK

 

一条天皇にとって母は何にも代えがたい大切な存在なのでしょう。母からの頼みを受け入れて、道長に関白の職と同等とされる内覧の宣旨の地位を与えます。これにより、道長は臣下でもっとも高い地位を得ました

 

伊周が道長との政争に負けたことをきっかけに、道隆派の勢力はしだいに衰えていきます。定子のうしろだては中宮の地位一条天皇の愛情のみになりました。

 

定子(高畑充希) 一条天皇(塩野瑛久) 大河ドラマ「光る君へ」19回(5月12日放送)より(C)NHK

 

定子の兄・伊周は性格に難があったようです。例えば、伊周は道長と会議で直接口論になったこともあったそう。

 

また、伊周と隆家の従者は花山院(花山天皇)に矢を誤って放つという事件を起こしています(※1)。

 

さらには、伊周は詮子に違法な方法で呪いをかけようとしたのです。彼が天皇のみに認められている加持祈祷・大元帥法(だいげんのほう)を行っていたと、法琳寺の報告で露見します。

 

伊周はこれらの罪で左遷されました。

 

定子の苦難は終わりません。道長は自身が左大臣の職にあるとき、長女・彰子に中宮の地位を与えました。これにより、中宮・定子は皇后となり、ふたり同時に帝の正妻になるという前代未聞の事態が起きたのです。定子は一条天皇の唯一の后という立場も失いました。

 

一家の隆盛が暗転すると、定子は出家します。

彼女は24歳という若さで他界したと伝わっています。

 

 

貴族の女性でも困窮ルートと隣り合わせの平安時代!?

定子の生涯を見ていると、当時においては清少納言の心をつかむほどの女性でも、周囲の大人に転がされてばかりの人生であると分かりますね。

 

帝の后といえは、女の最大の幸せであり、女の最大の出世と考えられていました。しかし、帝の后になれば立場が生涯にわたって安定するわけではありません。この地位は自身と夫との相性や信頼関係というよりも、外的要因によってゆらぐことがあります。

 

定子のように人生が暗転した貴族女性は珍しくありませんでした。幼少期や娘時代からは考えられないような壮年期を歩んだ貴族女性も少なからず存在します。

 

今でこそうしろだてを失った女性であっても学識や人脈を活かして、個人として活躍できる可能性もあります。親や兄弟よりも成功した女性もいるでしょう。あるいは、家柄を捨てて、自分だけの力でイチから生活を立て直す道もあります。

 

一方、平安時代は貴族の女性が自活する道はほとんどなかったため状況を受け入れ、流れにのるしかありませんでした。貴族の女性が自活する道として女房勤めの選択があるものの、自分の力だけで就職先を見つけられるわけでもなかったようです。

 

※1
長徳の変」と呼ばれる事件。長徳2年頃、花山法皇は伊周が通っていた為光の娘・三の君と同じ屋敷に住む四の君のもとに通っていた。伊周は花山法皇が自分の恋人と関係をもっていると誤解する。伊周から相談を受けた隆家は従者の武士を連れて法皇の一行を襲う。このとき、法皇の衣の袖を弓で射抜いた。

 

 

【前編】では#19で放送された、定子を取り巻く環境が少しずつ変化や、背景にある伊周が起こすトラブルについてお伝えしました。

▶つづきの【後編】では、運に翻弄されがちな平安時代の貴族たちの生活をのぞき見! どんなおやつを食べていた?__▶▶▶▶▶

 

参考文献

・砂崎良 (著), 承香院 (監修)「平安 もの こと ひと事典の

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