平安時代、怖~っ。独身で病気になると、路上生活の「転落人生」あるのみだった⁉【NHK大河『光る君へ』#23】
日本人は「中国医学」を長きにわたり模倣していた
本作の22回には、為時(岸谷五朗)が腹痛をうったえ、薬師・周明(松下洸平)が鍼治療を施すシーンがありましたね。施術道具を見て目をまるくし、おどろいた表情のまひろ(吉高由里子)や治療中の為時の悲鳴が印象的でした。また、本放送においても周明が「指の間に(鍼を)刺すと 熱が下がる」とまひろに教えるシーンがありました。
まひろは鍼治療におどろき、少々おびえていますが、平安時代の日本では鍼を使った治療はすでに行われていたよう。当時の貴族たちはツボを鍼で刺激し、体調を整えていたのです。
日本は室町時代の中頃までは中国における医学を模倣していました。日本最古の医学書『医心方』(いしんぽう)は平安時代中期に編集されましたが、本著は中国医学の知恵の集大成です。中国の六朝、隋、唐、朝鮮の医薬関係書からの引用で構成されています。各種症状や治療法の他、薬効や美容法なども記されています。
ちなみに、『医心方』を編集し、円融天皇に献上したのは丹波康頼という人物です。彼は鍼博士としても名を博していました。
平安時代の人たちはどのような病気を患ったの?
平安時代の人たちもざまざまな病気に悩み、苦しんでいました。平安時代中期の辞書『和名抄』(わみょうしょう)には約70種類もの病名が記されています。
ここでは、平安時代の人たちを悩ませた主な病気とその治療法をいくつか見ていきましょう。
・風邪
症状が軽めの熱、せき、頭痛など。湯治が主な治療法
・風病(ふびょう)
風の気にあたると患うと考えられた。症状の1つには発熱がある。熱を冷ますためにニンニクを入れた薬が使われた
・消渇(しょうかち)
現代でいう糖尿病と思われる
・脚の気(あしのけ)/脚病
現代でいう脚気(かっけ)と思われる。筋力が低下し、足腰が痛む。立ったり、歩いたりすることが困難になる。
・白内障/目の病気
医師は白内障の患者の目をメスのようなもので切開した。技術がともなわなかったといわれている。
・天然痘
治療法や薬は確立していなかった。完治しても顔にあばたが残った。
他にも、吐血や下痢、不眠症、虫歯などの症状に悩んだ人たちも少なくなかったようです。
当時、病気の治療にはニンニクや蜂蜜、生姜などが薬として使われていました。これらは現代においても身体によいと評価されており、医師も体調回復の効果や健康促進効果などを認めています。
平安時代の人たちは医師による治療よりも、僧侶による加持祈祷を信用していた
当時における病気の治療法には医師(くすし)による薬や外科治療と、僧侶による加持祈祷(かじきとう)がありました。
医師は患者の身体に直接ふれたり、薬を飲ませたりすることから、貴族の中には医師を軽蔑する人もいたそう。医師の身分はそう高くありませんでした。
一方、加持祈祷で治療する僧侶は貴族からも尊敬されていました。加持祈祷とは仏に病気の快復を祈る儀式で、病人にとりついたモノノケを祓うために行います。わらわ病みに悩む光源氏が高僧に祈祷してもらおうと、北山を訪れるシーンが『源氏物語』の「若紫」にあります。
家族がいる人は病気になればケアしてもらえるが、身寄りのない人たちは?
平安時代において医師は患者を身分に関係なく診察していたので、庶民も薬を手にできていたと思われます。
しかし、すべての人があらゆる医療の恩恵を享受し、看病してもらえたわけではありません。貴族が重病を患ったら家族や女房、女童などから手厚く看病してもらえます。さらに、評判の高い医師や僧侶も呼んでもらえます。一方、庶民は僧侶に加持祈祷を一般的に頼めませんでした。
また、庶民や下人、頼る人がいない貴族などは病気になると見捨てられることも珍しくなかったようです。現代であれば、お金も身よりもなくても病院にかけこめば、病院と行政の連携により診察・治療の対象になるケースもあります。平安時代は福祉制度は整っていませんでしたし、病人の行き場はそうそうなかったため、道端で物乞いするくらいしか生き抜く方法がない人もいました。
本記事では平安時代の病気と治療法についてお伝えしました。
▶つづきの【後編】は、現代では健康と密接な関係があると認識されている「口腔ケア」ですが、平安時代ではどのように歯磨きやむし歯治療がされていたのかについてです。__▶▶▶▶▶
参考資料
・佐々木嵩『初めて聞く北海道における糖尿病の歴史』 柏艪舎 2022年
・砂崎良 (著), 承香院 (監修)『平安 もの こと ひと事典』 朝日新聞出版 2024年
・繁田信一『平安貴族 嫉妬と寵愛の作法』 ジー・ビー 2020年
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