「鈴木蘭々」に飽きた。ただの「鈴木智子」でもやさしくしてもらえると気付いたNY留学【インタビュー】
―― 実際どのくらい行ってたんですか?
観光ビザで行っていたんで、3ヶ月行って帰国して、しばらくしてまた3ヶ月行ってって。なんだかんだ、1年ぐらいですね。
―― ニューヨークでは、ダンスやミュージカルの勉強をしていたんですか?
勉強と言えば勉強なんでしょうけど、「普通に楽しく社会生活を送っていた」っていう感じです。当時上演されていたミュージカルや舞台は、マニアックなオフオフの作品から有名どころの作品までたくさん観劇したし、平日は基本ボーカルレッスン、ダンスレッスン、英語のレッスンと毎日なにかのレッスンは必ず入れていて、とても忙しくしていました。
ニューヨークで得たもの、新たな価値観
――ニューヨークの生活でとくに印象に残っていることは?
多くの人々からのやさしさとサポートを受けて過ごせた時間だったということでしょうか。
ていうか13歳から仕事を始めて23歳で渡米するまで、そのあいだだって多くの人々に支えられてたくさんの夢を叶えさせてもらった私なんですけど、自分の中にどこかそれは「芸能人である鈴木蘭々」だからそうしてくれているのであって、そういう肩書きがなければ人ってそんなにはやさしくしてくれないんじゃないかって。なんていうか、やさしさを疑うような……そんな思いをうっすらと抱えていました。
その原因としては、14歳のころ広告代理店の人に「この世界ではえらくなっちゃいけないよ、みんな表面上はやさしくしてくれても心の中ではなにを思っているかわからない世界だからね」と言われたことだったり、私自身が障害者のきょうだい児で子どものころ世間の冷たい風当たりを肌で感じる経験があったり、そういったこともあるのかもしれません。
でもニューヨークの人々は本当にやさしかった(笑)。それはもう想像以上でしたよ。とてもよい経験だったと思います。
――思い出の場所、また訪れたいところは?
いっぱいあるんですけど。博物館が好きで、アメリカ自然史博物館とメトロポリタン美術館は何回行ってもいいなと思ってるので、思い出の場所ですかね。あと、日本にもありますけど、DEAN & DELUCAで英語を習っていたので、そこも思い出の場所です。
8th Stっていうストリートも好きでした。当時、サイバーチックっぽいファッションが好きで、サイバーっぽいものが揃ってたのが8th Stでした。
あとは、金剛山っていう韓国料理屋さん。そこの豆腐チゲがおいしすぎて、3日に1回ぐらいの頻度で食べに行ってました(笑)。
【24歳のころ】
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