「都会って怖い~。ひとりで出歩くのはムリだわ」平安時代の紫式部も感じた身のキケンとは?

2024.09.16 LIFE

紫式部も恐怖心を抱いていた。平安時代、内裏の近くには「盗賊」や「鬼」の存在も!?

いつの時代においても、どの国においても人が集まり、経済活動が盛んな場所はキケンに満ち溢れています。

 

平安時代、都の外れでは盗賊山賊などが悪事を働き、庶民だけでなく、貴族もねらっていました。また、帝が住む大内裏の近くの朱雀門羅城門にはにまつわるウワサも多く、人びとは恐れていたといわれています。

 

宮仕えをする紫式部も恐ろしい体験をしています。1008年の大晦日、中宮・彰子の飛香舎に盗賊が侵入しました。このとき、二人の女官が衣服をはぎとられています。紫式部には直接的な被害はなかったものの、女房たちと中宮のもとにかけつけています。

 

さらに、羅城門には盗賊が住み、2階には死体が放置されていたようです。この門を舞台にした芥川龍之介の小説『羅生門』(1915)にも2階に放置された死体や勝手に入り込んだであろう老婆が登場します。こうした描写からも都の表玄関であったにもかかわらず、羅城門の管理のゆるさが分かりますね。

 

 

罪を犯す動機は「勢力の対立」や「金銭欲」などさまざま…関与者の中には行き場を失った武者も

平安時代、剣や弓矢、盾を持った何十人もの一団が貴族や貴族の住居を襲うような事件も多発していました。こうした事件には家、もしくは個人における対立が関係していることが多かったようです。当時、反対勢力や邪魔者は襲ってやっつけてやろうという考え方が当たり前のようにあったのです。

 

また、この時代における窃盗事件の中には武者が関わる事件が多々ありました。盗みを目的としたと考えられる事件でも、犯人が人に斬りかかり、傷を負った被害者が出ているものがあります。こうした事件については、刀を使いこなせる武者の存在を抜きには考えにくいでしょう。

 

乱闘や夜討ち、強盗に関与した人たちの中には、社会から除け者にされた武者力を失った武者も多くいました。庶民でもなく、かといって貴族でもないというあいまいな立場ゆえの苦労もあったように思います。

 

なお、武者は平安時代の中頃から出てきたといわれています。治安が悪い社会で貴族は自分たちを守るために武力で解決してくれる者たちを雇いました。それが裏目に出るような事件も起きていたのです。

 

 

実資と公任が注ぐ獄舎の中の人たちにそそぐあたたかい眼差し

平安時代、都では犯罪や騒ぎが頻発していましたが、検非違使(けびいし)といわれる警察のような役職や刑務所のような獄舎はすでに存在していました。

 

藤原実資は検非違使別当在任中、獄舎の様子に心を痛めていたといわれています。実資は獄舎の中の人たちに手を差し伸べることもありました。例えば、体調がすぐれない人たちを釈放させたこともあったそうです。また、私費を使って獄舎に井戸を掘らせたこともあったと伝わっています。

 

実資の後任を務めた公任は実資と親しかったこともあり、獄舎の環境には気を配ったといわれています。

 

当時、獄舎に収容された人はのどの渇きを癒せず必要な栄養を摂取できるだけの食べものを与えられなかったようです。獄舎の外で暮らす民たちも食事は米と汁物、塩、少量の野菜程度であったため、獄舎の人たちに与えられる食事は想像を絶するものだったと考えられます。

 

平安時代においても法に基づいた判断はある程度行われていましたが、無法地帯といえる部分もありました。実資のようにほぼ独断で獄舎に収容された人が出されることがあったほか、有力者の一声で犯罪を見逃してもらえることもありました。また、現代では獄舎の環境を私費で整えようものなら、大きな問題になりそうですよね。

 

 

参考資料

芥川龍之介『羅生門・鼻』新潮文庫 2005年

城爪草 (著、イラスト)  大石学 (監修) 佐藤全敏 (監修)『NEW日本の歴史 3 平安京と貴族のくらし ~平安時代』 学研プラス 2021年

繁田信一『平安朝の事件簿 王朝びとの殺人・強盗・汚職』文藝春秋 2020年 

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