「えっ。平安貴族に生まれても、飲み会は必須!?」平安時代の姫は飲み会で、憂さ晴らしをしていた!?
道長の娘・妍子の心の中は誰にも分らない。彼女の頻繁な宴には悲しき理由が…。
藤原道長は宴が好きで、何かと宴を催していましたが、次女の妍子も宴を頻繁に催していたといわれています。また、彼女の宴はその派手さが有名です。『栄花物語』には妍子が年始の大饗を大々的に催しすぎたため、兄の頼道が妍子をとがめる場面があります。
妍子は自分よりも年上の三条天皇と結婚しますが、彼女が納得できる結婚だったのかは誰にもわかりません。三条天皇は妍子よりも20歳近く年上でした。その上、彼には娍子という女性、彼女との間に6人もの子どもがいました。しかも、長男は妍子と同い年。さらに、三条天皇は道長と相容れなかったため、彼女は夫と父が不仲という厳しい立場にありました。また、妍子は皇子を産めず、一条天皇との間に皇子を産んだ姉・彰子と自分を比べてしまうこともあったように思います。
明るく、おしゃれで、イケイケのイメージがある妍子ですが、彼女の心の中は本人のみが知ることです。妍子はこの世の憂さを晴らすために宴を催してばかりいたと考える有識者も少なくありません。
いつの時代も、多くの人にとって飲み会は日々の憂さを晴らす効果的な方法といえるのかもしれませんね。
参考資料
都留康『お酒はこれからどうなるか:新規参入者の挑戦から消費の多様化まで』平凡社、2022年
不二龍彦(監修)、 山下晋司(監修)、 グループSKIT(編集)『知れば知るほど面白い天皇家の謎』宝島社、2023年
吉野秋二『古代の食生活 -食べる・働く・暮らす-』 吉川弘文館、2020年
株式会社ネクストレベル『ミライのお仕事』「2024年最新調査:「飲みニケーション」はありかなしか、 社会人831人に聞いてみました」(PRTMES)
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