道長とまひろの思いは、次の世代に伝わるのか。“ラブレター”として詠んだ「愛のうた」って?【NHK大河『光る君へ』#44】
摂政と大臣を辞すことを決めた道長
内裏では三条天皇(木村達成)がこの世を去った後も、人びとの思惑が複雑に絡み合う状況が続いています。そうした中でも、道長(柄本佑)はうまく立ちまわり続け、我が子や孫をつかって自身の基盤を固めていきます。
道長は後一条天皇(橋本偉成)の摂政として申し出の判断を行う権を得ました。租税の減免を希望する国には「租税は 減免せよ」と率直に答えることや、「あしき先例は 速やかに改めて当然である」と公卿の前で主張することもありました。道長は民の力になれる地位までようやくのぼりつめたかのように見えました。
しかし、現実はそう甘くはありません。公卿たちから権力集中を懸念する批判的な声が上がります。幼い頃から親しくしていた公任(町田啓太)からも「内裏の平安を思うなら 左大臣をやめろ」と言われてしまいます。
道長は帝を摂政と大臣の権をもって支えることこそが皆のためだと思っていましたが、実際はそうではないことに気づきます。内裏は自らの志を実現するためにひとりで奔走できる世界ではないのです。また、民のためだといって先例をひとりで覆したり、公家の声を一切無視して民の声だけに耳を傾けたりしていれば世がよくなるというわけでもないのかもしれません。
頼通は道長の思いを受け継げるのか。長い年月を経て成し遂げられることもある
道長は摂政と大臣を辞すことを考えます。道長とまひろの間では以下の会話が交わされていました。
「摂政まで上っても 俺がやっておっては世の中は 何も変わらぬ」
「頼通様に摂政を譲られるのでございますか」
「ああ」
「頼通様に あなたの思いは伝わっておりますの?」
「俺の思い?」
「民を思いやるお心にございます」
[中略]
「道長様のお気持ちがすぐに 頼通様に伝わらなくても いずれ気付かれるやもしれませぬ」
「そして 次の代 その次の代と 一人でなせなかったことも時を経れば なせるやもしれません」
道長は摂政と大臣の権をもつという異例の力を得ましたが、それでも世を変えられないばかりか、公卿からも批判的なまなざしを注がれることになりました。
まひろも道長が自分との約束を実現するためにひたすら走ってきたことを知っているからこそ、現在の世の中では民のための政や世の歪を正しきれないことも理解しています。しかし、まひろは道長が世を変えられなかったとしてもそれで終わりではなく、次の代、次の代と世が移り変わるなかで成し遂げられるかもしれないと考えています。
考えてみると、今の世の中は一瞬にしてできあがったわけではありません。現在の日本では政治家たちは国民のための政策を話し合っています。また、国民は選挙権を性別問わずもっており、リーダーを自分たちで選べます。病気や災害などで独力で生きられなくなった人たちを支える制度もあります。一方、平安時代は内裏で民のための政策が話し合われる機会は今よりもずっと少なかったはずですし、生活保護制度や国民保険などもありませんでした。
本作は実在の人物をもとにしたフィクションであるとはいえ、まひろと道長の志が今の世の中に脈々と流れているのは確かです。まひろや道長のような人たちが存在し、声を上げてきたからこそ、今の世があります。道長は光る君の物語を人の一生のむなしさが描かれていると解釈しましたが、長い目で見るとむなしいだけではないのが人間なのかもしれません。本作を通して過去が今にいかにつながっているかを考えさせられます。
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