紫式部、藤原道長、清少納言の晩年とは?高く評価された女房も内裏を離れれば“一人の民”扱いで記録もされない時代だった
藤原道長の晩年
権勢は天皇をも凌いだといわれ、満月のように欠けたところはなく、自分が思い描いたとおりの人生を運を味方につけて歩んだという印象を受ける道長。しかし、晩年は健康状態が好ましくなく、思い煩うことが多かったと察せる日々でした。
道長は飲水病(糖尿病)を患い、背中の腫れ物の痛み、失明、喉の渇きなどに苦しめられていました。彼が痛さのあまり声をあげていたという話もあります。
当時は現代と比べて栄養状態もよくなく、ほとんどの人は糖分を過剰に摂取できるほどの余裕はありませんでした。しかし、道長をはじめとする上流貴族は過分な栄養を摂れるほど富んでいたのです。道長は糖分が多く、度数が低い酒を頻繁に飲み、菓子類も食べていたため、糖尿病を患ったと考えられています。なお、道長自身は自らの不調を怨霊のたたりだと考えていたそうです。
道長は60代まで生きており、当時としては長寿。我が子に先立たれるというつらい経験もしています。
1027年、道長は屋敷の隣に建設した法成寺の阿弥陀堂の中でこの世を去りました。当時の例にならって鳥辺野に葬送され、遺骨は木幡に埋葬されました。
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