たい たい たい尽くしの世の中を金なし、親なし、家もなしの蔦重が駆け抜ける!彼の始動のきっかけはひとりの女郎の死

2025.01.06 LIFE

いつの時代も、誰もが生き抜くのに必死

多くの人たちでにぎわう華やかな吉原は、訪れた人たちにとっては現実社会とは一線を画す浮世を忘れられる場所といえるでしょう。しかし、ここで暮らす人たちにとっては、この場所こそが現実であり、女郎も引手茶屋の主人も暮らしを守るため必死です。

 

いね(水野美紀) 松葉屋半左衛門(正名僕蔵)  大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」1話(1月5日放送)より(C)NHK

 

きらびやかなイメージを抱きがちな女郎ですが、彼女たちの間にも格差があります。大見世で働ける花の井(小芝風花)のような花魁もいれば、河岸の場末の店で働く朝顔(愛希れいか)やちどり(中島瑠奈)のような女郎もいます。浄念河岸で働く女郎は満足に食べられず、常に空腹状態。重三郎が朝顔のために持ってきた弁当を本能的に食べてしまうほど厳しい状況に置かれているのです。

 

過酷な社会においては優しすぎる人は生存競争に負けてしまうのが世の常なのかもしれません。重三郎をかつて救った朝顔はきつい客を自ら引き受け、食事を女郎たちに分け与え、自己犠牲を厭わない生き方をした結果、体調が回復しないままこの世を去りました。

 

しかし、朝顔の死を気にする者も嘆く者も、敬う者もいないどころか、この女郎は着物を剥ぎ取られ、裸にされた状態で葬られます。

 

重三郎(横浜流星) 朝顔(愛希れいか) 大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」1話(1月5日放送)より(C)NHK

 

唐丸(渡邉斗翔)の「裸で捨てられるの?」という問いに、重三郎は「剝ぎ取って売るんだよ」と答えていますが、彼らにも換金できるものは奪わなければならない事情があるのでしょう。あるいは、死人から奪い取ってでも儲けたいほど単なる“罰当たり”なのか…。

 

史実においても華やかで、江戸文化の発信地として扱われがちな吉原ですが、片隅ではこのような心ない行為も日常茶判事でした。遊郭街である吉原において欠かせない存在である女郎ですが、彼女たちは朝顔の死に見られるように敬われる存在ではなかったのです。また、女郎は好んで吉原に来たわけでもありません。

 

「吉原に すき好んで来る女なんていねえ。[…]女郎は 口減らしに売られてきたんだ きつい つとめだけどおまんまだけは食える 親兄弟はいなくても 白い飯だけは食える。 それは吉原なんだよ!」

 

重三郎のこの台詞にうかがえるように、吉原は社会的に弱い立場にある女性やその家族が生きるための最後の頼みの綱です。吉原は訪れた男たちにとって夢のような場所ですが、この男たちの相手をする女郎にとっては楽しくも、喜ばしい場所でもありません。誰かの快楽は別の誰かの苦痛の上に成り立つことは多いですが、吉原もまさにそうでした。

 

重三郎は朝顔の死をきっかけに、女郎の待遇改善に動き出します。まずは、女郎を雇う主人たちに河岸の女郎のための炊き出しをお願いしに行くものの、彼らは自らを仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌 の八つの徳目のすべてを失った「忘八」であると自称し、聞く耳をもちません。

 

この後、重三郎がある男(安田顕)の助言を得て向かったのは老中・田沼意次(渡辺謙)の屋敷でした。彼は意次に不逞な岡場所(非公認の遊郭)が増えたことで、吉原が危機に瀕していると事情を話し、警動(けいどう)を頼みます。意次は彼の頼みを聞き入れませんでした。宿場が潰れれば商いの機会が減るため、吉原のためだけに国益を逃せないと考えているからです。

 

ありがた山の寒がらす!意次からヒントを得た重三郎は… 次ページ

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