がんの末期は「絶望のドラマ」なのか。すい臓がんで体重が40㎏台になった父と過ごした最期。それでも「家族の日常は消えない」

「終活」を通じて自然と増えた親子の会話

しばらくすると父はテレビを消し、「遺言……まぁ、そんな大袈裟なものじゃないんだけど」と言い、話し始めます。内容は「葬儀のこと」「お墓のこと」「あらゆる手続き関係」が主で、几帳面な父らしく「葬儀場は〇〇がいいと思うんだけど、見学しておいたら? そのほうが“当日”も安心だろうし」といった、細かいアドバイスも……。

 

その後は、手つかずのまま気になっていたというアルバムや趣味に関する本の整理をしたいと言うので、倉庫の奥に眠るそれらを運び出し、終活をサポートすることに。

 

それから1週間、写真の中の“私の知らない父”を見て、それにまつわるエピソードを聞き、あっと言う間に時間が過ぎてゆきました。思うように力が入らない手足を見つめながら、「もっと早く始めればよかった」と、父は残念そうな顔をしていましたが、少し前までの「病状を聞く会話」ではなく、「自然な親子の会話」に戻ることができたのは、この終活があったから。今でも、この時間を大事に思っています。

 

▶▶次のエピソード 私が経験した「がんで親を亡くす」ということ。「亡くなった今のほうが父を身近に感じている」

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