空っぽのランドセルに詰め込んだ、精一杯のSOS。「学校に行きたくない」と言い出せなかった不登校児の、学校と母への本音

2025.02.25 LIFE

「自分を押し殺すような毎日だった」――そう言えるのも、大人になった今だから。時間が経って初めて言葉にできることがある

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こうして、間もなく登校を再開。とはいえそれは、大きな違和感を抱えつつ、断続的な欠席を差し挟みながら、という状態でした。

「学校は、行きたくない場所。それでも、新しい知識を得たり、教科書を読んだりするのは好き。『学校に行くからには、勉強はしたい』と思っていました」。

 

そこで、登校したときは通常通り授業に出席。一方で困ったのが、休み時間の過ごし方でした。

「友達とどう過ごしていいのかが、わからなくなってしまったんです。ですから、休み時間は、カウンセラーがいる相談室や、保健室に避難。授業が始まるころ、再び教室に戻って授業を受ける。それを繰り返していました」。

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その経験も踏まえて、さゆりさんは改めて、当時の違和感の正体を次のように分析します。

「今だからわかるのですが、『それでもやっぱり行きたくない』という思いの根っこにあったのは、『私の資質や性格と、学校という場のアンマッチ』なんですよね。

私はもともと、良く言えば意志が強くて、悪く言えばわがままなタイプ。たとえば小さい頃は、みんなで『縄跳びで遊ぶ』と決めて外に飛び出して、『やっぱり、私はジャングルジムに行ってもいい?』と言い出す子がいても譲らない。相手を慮ったり、例外を作ったりはせず、『みんなで決めたんだから、今日は縄跳びですっ!』って貫くような子でした。判断は白か黒。グレーをつくれなかったんですよね。

ところが、小学3~4年生くらいから、精神的な発達も手伝って、『周りに合わせないと独りぼっちになっちゃうかな?』と思うことが増えてきました。図書室で本を読みたくても、『外で遊ぼう』と誘われたら、『いいよ』と答える。それが自然に育まれた協調性だったら良かったのですが、私はそのバランスのとり方もわからず、かなり無理をしている状態だったんです。

こうして振り返ると、そもそも集団行動も友達付き合いも得意ではない。ところが、ある時期から、心が欲していない方を選び続けるようになって――自分を押し殺すような感覚が、澱のように積み重なっていたのだと思います」。

 

 

「否定しない」こと=「受け止める」ことではない。正面から問われてこそ、伝えられる本音がある。

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さゆりさんの母親は、空っぽのランドセルを手にしたその日から一度も、学校を休むことを責めたり、登校を促したりすることはなかったのだそう。

「『不登校』ではなく『登校拒否』と呼ばれていて、学校に行く以外の選択肢がなかった時代。『親はその時どうすべきか』なんていう情報は、今ほどなかったはずです。それでも、大きく取り乱すこともなく休ませてくれたことは、ものすごくありがたかった」。

今や、さゆりさん自身も4歳の息子と6歳の娘を持つ母親。「我が子の緊急事態に、どれだけ不安が募るか想像もつきますから……あの時の母はすごいし、大変だっただろうなあ」と思いを馳せた直後。「でも……」と、その表情が曇りました。

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「『学校に行きたくない』と言った私を否定されたことはないけれど、だからといって『受け止めてもらえた』とも感じていないんです。

あの時の母は、丸く収めようとしていたように思うんですよね。たとえば、同居していた祖母は、『学校に行け』とは言わないまでも、『成績も良かったこの子が、なんで?どうして?大丈夫なの?』という反応を隠さない。すると母は、『おばあちゃん、まあまあ』と祖母を穏やかになだめつつ、私には『ほら、今日もお休みしようか、ね?』と促す。もちろん、祖母への対応はありがたかったです。でもここに、『私の話に耳を傾ける』というプロセスはないんですよね。『今の学校ではない、他の選択肢があったらいいのに』という漠然とした思いもありましたが、それを伝える機会もありませんでした。

聞かれてどれだけ答えられたかは、正直わかりません。でも、『学校のこと、どう思ってるの?』とか、『どうしたいと思ってる?』とか、『何か力になれることはある?』とか……正面からボールを投げてくれて初めて、投げ返せる本音があった気がするんです。

親には感謝しているし、責任をなすりつけるつもりもありません。それでも、『学校と家』という狭い世界で生きていたから――『母に、もっと向き合ってほしかった』。その本音に気づくのに、30年近くかかってしまいました」。

 

ここまでは、不登校に至る前後での心の内と、時間が経ったからこそ見えてきたあの頃の本音を、さゆりさんに語っていただきました。

続く次回記事『元・不登校児がようやく見つけた「自分の取扱説明書」と「心地よい居場所」とは? 今、不登校の親子にどうしても伝えたいこと』では、自らが活きる心地よい場所を少しずつ見つけ出していくさゆりさんの歩みをお伝えします。

▶次回記事はこちらから▶▶▶

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