35歳で妊娠。軽い気持ちで受けた「出生前検査」がまさかの「陽性」。葛藤のすえ、私が出した結論は

私が出生前診断を受けることを決めた理由

初めての妊娠がわかったのは2018年の4月。当時私は35歳、夫は39歳で入籍から3ヶ月経ったときのことでした。

妊娠判定検査を受けたクリニックで、医師から「おめでとうございます」の言葉とともに「35歳から高齢出産になることは知っていますよね。染色体異常を発症するリスクが高くなるから出生前検査を受けておく?」と聞かれました。

もともと出生前診断の存在についてテレビやネットを通して知っていたことや、医師の話の切り出しかたが自然だったこともあり、その言葉を重くは受け止めず「受けてみたいです」と伝えました。

帰ってから夫に「医学が進歩した時代に産むんだから念のため受けてみたい。陰性の結果をもらえたら安心できるし」と伝えて了承をもらい、1ヶ月後の妊婦検診の際、医師にあらためて出生前診断を受ける旨を伝えました。

 

妊娠16週|大学病院で出生前検査を受ける

必ず夫婦で来てくださいと言われ、指定された日に紹介された大学病院へ。
まずは、ほかの夫婦10組ほどと一緒に染色体疾患や出生前診断についての説明会に参加しました。


染色体疾患については、主に21トリソミー(ダウン症候群)・18トリソミー・13トリソミーがあり、18トリソミー・13トリソミーは疾患が多く長く生きられない子が多くいること、21トリソミーは50~60歳まで生きられる人が多く、芸術やスポーツの分野で活躍している人もいることなどの説明を受けました。

そのあと採血による出生前検査(クアトロテスト)に進み、最後は夫婦で臨床遺伝専門医によるカウンセリングを受けます。

「もし検査の結果が陽性だったらどうしますか?」と聞かれたときに、私は「胎動があり毎日可愛さを感じているので必ず産んで抱っこしてあげたい」と答え、夫は「結果を聞かないと何とも言えない」と答えました。

 

妊娠17週|結果を聞きに行く

結果を聞きに行くのも夫婦ふたりが必須とのことでしたが、指定された日に夫は仕事を休むことができず、その日はひとりで大学病院へ。

臨床遺伝専門医から書類を見せられるとともに、伝えられた結果は「陽性」でした。


分娩時35歳の人がダウン症の子を妊娠している確率は295分の1。
私はその値よりも高い193分の1の確率で、お腹の赤ちゃんがダウン症である可能性が目安の数値よりも高いということでした。

私とまったく同じ条件を持つ妊婦さんが193人いたとして、そのうちの1人がダウン症の子を産むという意味の数字です。

聞いた瞬間に、目の前が暗くなりました。

医師と助産師から「産まれた子がダウン症だったとしても病院はサポートを続けるし、ひとりじゃないから大丈夫ですよ」と励ましの言葉がありましたが、そう簡単に前向きにとらえることはできません。

「羊水検査に進みたい。このまま産みたくないです」と伝えました。

「カウンセリングのときには、産みたいとお話されていましたよね」と医師。

「気持ちが変わりました。不安なまま出産を迎えるのは無理です…」と私。

あらかじめ置かれていた机の上のティッシュボックスは、私のような妊婦のために用意されていたのかもしれません。

恥ずかしながら、泣いて取り乱してしまいました。

 

前回のカウンセリングでは必ず産みたいと言ったのに、実際に陽性の結果を聞いて動揺してしまった私はひどい人間だと思いました。でも、自分に障がいを持った子の子育ては無理だ。私はそんな立派な人間になれないという気持ちが強くなったのです。

そのあと胎児エコーに進み、お腹の子の体の特徴をチェックしてもらいました。エコーで見る限り、ダウン症の子の特徴はなさそうだと伝えられるものの、羊水検査を受けて結果を確定させたいという気持ちは家に帰るまで変わりませんでした。

 

その日、夫は泊まり勤務で帰ってこなかったため、電話で結果を報告しました。
私は羊水検査に進みたいと思っていることを伝えると「もうやめよう。大丈夫だって。このまま出産まで進もう」との返事。
これまで何かと優柔不断で「どっちでもいいよ。任せる」が口癖の夫が、強い口調でそう言ったのはとても意外なことでした。

 

同時に、仕事で忙しい夫には頼らず、ひとりで悩み、ひとりで決めなければと頑なになっていた自分に気付きました。「あぁ、私はこの子を産んでいいんだ…」と肩の力が抜けました。
そして「産むのは私だけど、育てるのはふたりだからね。どんな子でも逃げないでよ」と夫に伝え、羊水検査をしないまま妊娠を継続する決意を固めました。

 

その日の夜から、出生前診断を受けた人のネット記事をひたすら読み漁ります。
さまざまな記事の中でも大きく心を動かされた記事がありました。

2012年6月3日に書かれた東尾理子さんのクアトロテストで、陽性だったことを告白するブログです。

羊水検査を受けないことに決めた東尾さんの「どんなにユニークでも私達を選んでくれた大切な我が子だから」という一文に、意志の弱い自分への不甲斐なさとお腹の子への気持ちが溢れ、涙しました。

 

妊娠18~38週|羊水検査に進まない結論を出したあとの気持ち

周りの友人たちよりも結婚が遅く、婚活していたこともある私にとって、街で見かける妊婦さんはまさに「幸せの象徴」、「すべて手にした女性」というイメージでした。

「それなのに今、どうして私は不安な気持ちでいるんだろう…」、「普通に幸せになることはなんて難しいんだろう…」前向きに進むことを決めたあとも、そんなことを考えていました。


当時のSNSでは、新生児を自宅でカメラマンに撮影してもらう「ニューボーンフォト」の投稿を多く見かけるようになっていました。おくるみに巻かれてすやすや眠る新生児の写真は、神聖でとても可愛くて、うっとりしながらよく眺めていたものです。

わが子の写真も撮ってもらえたら一生の記念になるだろうなと惹かれましたが、妊娠中にカメラマンの予約をとる必要があったため、あきらめてしまいました。出産後の自分の精神状態がどんなものか想像できなかったからです。

もし、暗闇の中にいるのだとしたら撮影どころではないだろうと、辛い状況を思い浮かべていました。

 

しかし、人間は永遠に悩み続けることはできないようにできているのか、それとも私の性格によるものなのかはわかりませんが、妊娠25週頃になると、開き直る気持ちが出てくるように。

出産・育児に向けて必要なグッズを用意したり、部屋を整えたりと、忙しく過ごしているうちに不安な気持ちは少しずつ薄れていきました。

妊娠39週と6日目|出産

陣痛促進剤を使って10時間かけ、大きな産声を上げて女の子が産まれました。
想像を絶する痛みを経験し、出産直後は感動よりも「やっと終わった…」という気持ちが大きく、産まれた子をよく見る余裕はありませんでした。

その後、母子同室になってから顔を確認しましたが、
念のため助産師さんに尋ねたところ「ダウン症ではないですよ」との返事。

193分の1という数字に振り回され、葛藤する日々はもう終わったんだ…と実感しました。

しかし、そのことが嬉しいという気持ちよりも、無事に産まれてきてくれてよかったという感謝でいっぱいでした。それほど命を産むことは、大変で奇跡的な出来事だと感じたのです。


夫は初めての子どもを抱いて静かに喜びをかみしめている様子でした。私の母は「中絶するんじゃないかと心配でたまらなかった。産んでくれてよかったよ…」と泣いていました。

出生前診断の結果について、夫のほかに実の母にも伝えていたのです。
妊娠中は、陽性の結果に落ち込む私を明るく励ましてくれた母でしたが、実際は大きな心配をかけていたようでした。

 

本編では、35歳で受けたクアトロ検査がまさかの陽性、葛藤を乗り越えて出産した体験談をお届けしました。

続いての▶▶なんのために出生前診断を受けたんだろうと3年経った今でも考えることがある。私が考えるメリット・デメリットは

では、引き続き本作の体験者さまに「軽い気持ちで受けるものではなかったと思う」という気持ちについて語っていただきます。

 

1 2

スポンサーリンク