「早く体から取り出したい!」乳がんと告知された看護師が感じた、医療従事者だからこその寂しさとは?【体験談】

乳がんだと告知されためぐみさん(仮名・56歳)。看護師をしていても、いざ自分が乳がんだと知ると平常心ではいられませんでした。急いでがんを切除したのですが、本当の戦いはそこから始まりました。

 

 

乳がんと告知されて…

めぐみさんは、8年前に人間ドッグを受けた時に左右の乳房にしこりが見つかりました。生検をしてみたら良性だと分かり、経過観察をすることになりました。

しかし、2024年4月下旬に受けた人間ドックでは、マンモグラフィーで左乳房に異常があることが分かりました。

「いつも診てもらっていた乳腺のクリニックでエコーをしてもらうと、怪しいから検査をしましょうということになりました。吸引式組織生検(VAB)で悪性だと判明、告知されました。右乳房のしこりは良性だったので温存することになりました。

私は看護師ですが、看護師だから告知されても大丈夫かというとそんなことはありません。ステージIで8mmの腫瘍でしたが、思わず『人生終わった』と思ってしまうほど動揺しました。

不幸中の幸いだということは分かっていましたが、『今後どうなるんだろう』という漫然とした不安と共に再発のことも頭をよぎり、どうしても心配になりました」

 

とにかく早く切りたい、気持ちに余裕がなくなっためぐみさんは、とりあえず勤めている病院で一刻も早く診てもらおうと思いました。
「私の上司も乳がんで、2年前に手術をして治療を続けていました。がん拠点病院なので信頼していましたし、病院を選ぶ気にもなれず、とにかく早く切ってほしい、体の中からがんを取り除いて欲しいという気持ちでいっぱいでした。

 

自分の体の中にがん細胞がいるというのがどうしても耐えられないので、全身のCTや転移がないかどうか調べる検査も早めに入れてもらって、手術の日程もできるだけ早くしてもらいました。とにかく早く切りたい一心で気が急いていました。でも、それが間違いだったのかもしれません」

 

 

家族や職場の人に伝えるのは難しい

めぐみさんは離婚していたので、家族は息子が3人。全員20歳を超えている大人でしたが、息子たちに乳がんのことを話すのは辛かったそうです。

「女性の病気ということもありましたし、手術して病理検査をしないとがんの顔つきも分からないし、うまく伝えるのは難しいことでした。
オブラートにくるむように話したのですが、真ん中の子は理学療法士なので『早く見つかって良かったね』と言ってくれました。

一番上と下の子は医療関係者ではないので全く知識がなく、がん=死という捉え方をして、命はどうなるのか、今後の生活はどうしていったらいいのかと不安そうにしていました。

自分の病気のことを自分が話す、言葉にするということ自体が辛くて、職場の人にもあまり言いたくないと思いました。仕事は続けるつもりだったので、本当は周りにもちゃんと伝えた方がいいのかなと思いましたが、その時は病気のことを知られたくないという気持ちが強くて、最低限必要な人にしか公表しませんでした」

 

 

めぐみさんは、仕事を続けられなくなるのではないかという不安は全くなかったと言います。

「上司が乳がんになっても仕事を続けていたので、私も続けられると思いました。本当はゆっくり休みたいと強く思ったのですが、収入がないと生活できなくなるので2泊3日で退院して、翌日から職場復帰しました。

本当は部分切除だと3泊4日ぐらい入院するのですが、周りにも知られたくないし、なるべく休む期間を短くしたかったのです。あまり長く休むと、必ず『あの人最近どうした?』と噂になるのです。ゆっくり休みたい、でも知られなくないというジレンマがありました。まだ術後の痛みもある中で無茶したなと今は思っています」

 

 

辛かった放射線治療、職員は物みたいに扱われないといけないの?

shutterstock

めぐみさんが一番辛かったのは放射線治療。治療自体が辛いのではなく恥ずかしさが込み上げてきたそうです。

「朝、仕事が始まる前に放射線治療に行きました。16日間16回、3週間弱です。勤務先の病院なので簡単にスケジュール調整ができるのは良かったのですが、放射線治療を受ける時は上半身に着ているものを全部脱ぐ必要がありました。

最初は私も平気だろうと思っていたのですが、看護師や放射線技師など、知っているスタッフの前で全部脱ぐのは屈辱と言っていいほど恥ずかしいことでした。位置合わせのためにいろいろ印を付けられるし、最初はそういう調整だけでも時間がかかりました。治療のために台に乗るのですが、それも怖くて。でも、不安を和らげるような声掛けもありませんし、治療中に泣いてしまったこともあります。

 

お尻の骨が痛かったのに何も対応してくれなかったのですが、後で他の科の看護師に聞いたら、患者さんにはクッションを当てて対応していたそうです。看護師で職員だと物みたいに扱われるんだなと思いました。もちろん治療してもらって感謝していますが、そんなふうに思う余裕はありませんでした。

仕事に戻ってからも涙が止まらなくなったことがあり、放射線治療がすごく辛くなりました。それがきっかけになって、なんで私はがんになてしまったんだろうとか、がんになりたくなかったと落ち込むようになりました。
後から調べたら、服を着たままでいい病院もあるし、マーキングもしない病院もあると分かりました。事前に調べておけば良かったです」

 

 

辛かった放射線治療は終わりましたが、めぐみさんは職場のメンタルサポートに引っかかってしまいました。

「メンタルサポートというのは心の健康診断です。最近涙が出るようなことはありましたかとか、仕事に意欲的に取り組めますかという質問に答えるのです。
ちょうど放射線治療が終わってホルモン治療が始まった頃に受けました。放射線治療は終わったのですが、『終わった〜!』と解放された気分ではなく、今も引きずっています。

出勤すると、更衣室で着替えて必ず放射線治療室の横を通らないといけないのです。その度に辛かった時のことを思い出して落ち込んでしまいます。左腕も放射線治療をしてからすごく上がりにくくなったし、自分でもそろそろ忘れたらいいのにと思いますが、なかなか忘れることができません」

 

 

サッカーの応援をしている時は何もかも忘れられる

職場で手術して治療したので、仕事をしている時はどうしても病気のことを考えてしまうというめぐみさん。しかし、大好きなJリーグのチームの応援に行った時は全てを忘れられると言います。

「サッカーの応援をしている時は、『私、がんなんだ』ということを忘れられるんです。普段は痛む左腕もバンバン上がります(笑)。仕事は人間関係とかいろいろ悩むことがあって、できたら辞めたいなといつも思っています。

でも、上司が何人かの人に話したようで、明らかに周りの人が優しくなったのを感じています。知っているけど知らないふりをしてくれているし、それは有り難いと思っています」

めぐみさんの乳がんは再発の可能性が低いものだったため、不安はあまりなかったそうですが、5月に告知されてから3ヶ月ほどは夜もあまりよく眠れませんでした。術後半年経って、ようやく精神的にも落ち着いてきました。もし再発した場合は、職場以外の病院で治療を受けることを考えているそうです。

 

>>>次のページでは、専門医の寺田先生に「乳がんの病院選び」についてお伺いします。

スポンサーリンク

この記事は

スポンサーリンク

スポンサーリンク