三田寛子、梨園妻の頂点に見る「ちょうどいい自慢ばなし」のさじ加減とは
逆に「自慢された」と感じた瞬間、思い出してほしいたった1つのこと
そうは言っても、世代的に謙虚につつましくあれと育てられたアラフォー女性は、自慢と解釈されるようなアピールすることに抵抗があるかもしれません。そんな時は、自慢とは何かを考えてほしいのです。
「あの人に自慢された」という時、たいていの人は、物や事柄をひけらかされることを連想するでしょう。ですが、私が思うに、自慢とは「誰がするか」という問題なのです。
たとえば「安室奈美恵がタワーマンションの高層階に住んでいて、その様子をSNSにアップしている」と聞いても、そりゃ、アムロちゃんなら当然でしょうと受け止められますが、私のようなド庶民が仮に同じことをしたら、「え?タワマン住めたのが嬉しくて自慢?」と解釈される可能性がある。ちなみに、実際の私は、オートロックですらない普通のマンションに住んでおります。
つまり、「自慢された」と思うのは、心の中で相手を低く見ていたということでもあるのです。成果がなくても、相手を尊重していたら「自慢された」とは思わないはずです。
人生も後半戦に差し掛かってきたアラフォーは、サゲ盛りと共にそういうつまらない人間関係からも、自由になっていいのではないでしょうか。
【他の生きざまを読むなら】
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