宮沢りえ、再婚報道で思い出される「人生を変えた運命のフタリ」
“考える婚活””オトコの行動を読む婚活”を提唱している私ですが、婚活の最終的な決め手は縁だと思っています。本人同士がいくら頑張っても、縁がなければダメなのです。
縁イコール結婚ではない
縁の何たるかについて教えてくれたのが、1985年放送の大河ドラマ、「春の波濤」です。日本の女優第一号、川上貞奴、彼女の初恋相手の桃介、その妻の房子が織りなす群像劇です。
貞奴は伊藤博文を旦那に持つ売れっ子芸者でしたが、桃介と知り合い、恋仲になります。しかし、桃介は、カネ目当てに大富豪・福沢諭吉の娘、房子と結婚することを決意。貞奴の前から姿を消します。失意の貞奴でしたが、新派の創始者、川上音二郎と結婚したことで、女優への道を歩き出すというストーリーです。
このドラマの中で、「人はシーソーに乗る相手が決まっている」というセリフがあります。シーソーですから、片方が上がると、もう片方は下がります。どちらかにいいことがあると、どちらかに悪いことが起きるという意味で、結ばれることはないけれども、離れることもできない縁があると説明されていたように記憶しています。ドラマでは、貞奴にいいことがあると桃介夫婦に悪いことが起きるといった具合に、対照的なカップルとして描かれていました。
当時は意味がわからなかったのですが、最近の女優・宮沢りえを見ていると、本当かもしれないと思うのです。
アラフォーの皆さんはご存知のように、りえはかつて関取・貴花田(現在の貴乃花親方)と婚約をしていました。ともに10代で国民的な人気を誇る世紀のカップルに日本は沸き立ちましたが、たった二か月で破談となりました。貴乃花は大関、横綱と昇進していきますが、りえの迷走が始まります。摂食障害にかかり、歌舞伎俳優・十八代目中村勘三郎との不倫や、関係がもつれて自殺未遂を図るなど、ゆっくりと転落しています。摂食障害は治療が難しい病として知られていますが、治療のために芸能活動を中止して渡米するなど、病状は深刻なものであったことを感じさせます。