「結婚なんて意味がない?」自分の時間を優先していた41歳が、なぜか結婚。二人になって「50歳までに叶えたかった夢」の行方は…
日々が飛ぶように過ぎていくなか、自分のあり方に漠然と迷う40代50代。まるでトンネルのなかにいるような五里霧中ですが、この時期を人生折り返しの好機と捉え、動き出す人もいます。新シリーズ「50歳から考えるこれからの仕事と暮らし」ではそんなチャレンジャーたちの体験談をご紹介します。
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「41歳の仲居。昼ドラ『温泉に行こう』『はるちゃん』を地で行く15年間を捨てて、「50代になったときの自分のため」に選んだ仕事とは」
◾️藤田紀世さん
京都府出身、長野県山ノ内町在住の46歳。長野県・野沢温泉の旅館に15年勤務したのち、山ノ内町の湯田中温泉に移住して「食堂 よろしき日」を開業。5歳上の夫・寛さんと夫婦二人三脚で店を切り盛りする
【50歳から考える これからの仕事と暮らし #8 後編】
41歳、コロナ禍で生き方を考え始める

藤田紀世さん・寛さんご夫妻
実家は8人家族で、いつも人に囲まれていた藤田紀世さんにとって、自分一人の時間を満喫できる野沢温泉での暮らしは居心地がいいものでした。いつのまにか自分のなかで「このまま結婚せずに一人で生きていこう」という思いを固めていました。というのも、周囲の既婚者が旦那さんの悪口を言っているのを聞いていると、「結婚なんて意味がないんじゃないか」と感じることが少なくなかったからです。
「結婚よりも、自分の時間を大事にしたい」
仲居として働いていた旅館では、まかない料理を作るおばちゃんと仲よくなり、長野の郷土料理「いもなます」の作り方などを教えてもらいました。そのころから「50歳くらいになったら、カウンター席のあるおばんざい屋さんをやりたい」と、漠然と考えていたそうです。
「独身で生きていく」という思いが揺らいだのは、旦那さんとなる寛さんとの出会いでした。
紀世さんが40歳のときに一緒に働き始め、飲みに行くうちに交際が始まります。東京の飲食店出身の寛さんは「一緒にお店をやらないか?」と起業する道を提案しました。
結婚するつもりはなかった紀世さんですが、押しの強い寛さんにぐいぐいと心を動かされ、42歳で入籍することに。「エネルギーに満ちあふれていて、まったく結婚する気のない私の心にスッと入ってきたんです」と振り返ります。
寛さんとお付き合いしている頃にコロナ禍に突入し、勤務先の旅館が休業になりました。野沢温泉に残るのか、寛さんの出身地である東京に行くのか、自分の実家がある京都に帰るのか……。悩みましたが、どれもしっくりきませんでした。
「起業なんて夢のまた夢だと思っていたけれど…」とんとん拍子に移住が決まる

りんご畑の農作業をしに、山ノ内町をたびたび訪れていました
同じ長野県の山ノ内町には、紀世さんよりも先に移住した妹夫婦が、りんごとぶどう農園を営んでいました。農園の手伝いに足を運ぶうちに、
「お店を出すなら山ノ内町はいいかもしれない」と思うようになりました。
役場に相談に行くと、「こんな補助金がありますよ」と親切に教えてくれ、移住への道筋が見えてきました。とはいえ、これまで起業なんて考えてもいなかったので、“先立つもの”は何もない状況でした。けれど「お金なんてどうにでもなるよ。今やらないと夢で終わっちゃうよ」と義父が背中を押してくれたこともあり、お店を出す決意は少しずつ固まっていきました。
2021年の初夏、41歳のときに2軒目に見学したのが現在の店舗でした。湯田中温泉のメインストリート沿いにあり、不動産屋さんから「すぐに開業できる居抜きの店がある」と案内された場所。
「びっくりするくらい、とんとん拍子にものごとが進んで……」
2022年6月、42歳のときにお店をオープンできました。
長野の暮らしは冬場の雪かきが大変なので、「住居と店舗は同じ場所がいい」という条件も満たす、またとない物件でもありました。
「ひろしときよ」を並べ換えて「よろしき日」と命名

「銀行からお金を借りるってどうするの?」
「お店の宣伝はどうしたらいいの?」
「そもそも、お客様は来てくれるのだろうか?」
不安はつきませんでしたが、ガンガン前進タイプの旦那さんのおかげで、起業の不安は軽々とクリアできました。
「ちょうど時期も良かったのだと思います。金利も低かったし、補助金があったので、ほとんど貯蓄がなかったにもかかわらず商売を始めることができました」
店名は「ひろしときよ」をアナグラムで並べ替え、「食堂 よろしき日」としました。月替わりの定食は昼も夜も同じ1,430円。地元の農家さんが作る野菜をたっぷり使ったメニューです。
「うちのおばあちゃんは、『旅行の楽しみは土地のものを食べて、その土地のエネルギーをもらうことだ』とよく言っていたのですが、そういう店を作りたいと思いました。肩肘張らない家庭料理の延長のような料理を食べてもらって、観光客はもちろん、地元の人にもくつろいでもらいたい」
山ノ内町の周辺にはおいしい野菜を作る農家さんが多く、農家さんが直接「こんな野菜が採れたよ」と持ってきてくれるのも田舎ならではのよさだといいます。
店で使うお茶碗を手作り。陶芸にも目覚める
お店を始めるにあたり、「お茶碗は手作りのものにしよう」と作家ものの器を探しにいきましたが、どれも高価で手が出ません。
長野市の陶芸用品専門店「長野陶材」に作ってもらえないか相談すると、「うちの先生は教えることしかしないので、自分で作れば?」と言われ、試しに店で使う最初の40個を作ってみたところ、意外に楽しく、味のある器ができあがりました。
「自分たちが作ったお茶碗をお店に並べていると、来店したお客さんから『それは買えるんですか?』と聞かれるようになって……」
2026年6月には電気窯を購入し、裏の空きスペースにプレハブ小屋を建て、作陶も開始しました。窯元名は、「藤白窯」です。閑散期には器作りをし、マルシェなどで販売する予定です。最終的には、店の器はすべて手作りしたい」という新しい目標も生まれました。
移住・店舗開業から4年を経て、紀世さんが感じているのは「時間の流れ方がゆったりしている」ということです。同じ県内からの引っ越しとはいえ、農家さんから直接農産物を買うようになり、「自然の移り変わりや四季を感じることが増えた」と話します。
「山ノ内町に移住しようと感じた直感は正しかった。ここでは着飾る必要もないし、時間に追われないから、ありのままの自分でいられる」
いまは、心の底から充足感を感じているそうです。
「私はもうすぐ47歳、夫は現在、52歳。アラフィフの夫婦でも挑戦できる。その方向に舵を切れたことが、いちばん嬉しいですね」
噛み締めるように、そう話してくれました。
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ワーケーションを始めた。歯の矯正を始めた。離婚を決意した……などなど、小さなことから大きなことまで歓迎です。人生の後半戦で「自分を大切にする」、「自分のために人生を生きる」そう決意したストーリーが、他の人を励ますことにつながります!
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