46歳女性社長が突然襲われた重い更年期うつ。「無関心、無気力、不安でたまらない…毎日涙を流していました」【100人の更年期#89】
漏れを気にせず1日中過ごせる「超吸収型」サニタリーショーツのパイオニアとして知られるBé-A〈ベア〉。ネンマク ケア、透明感ケアなどエッジの効いたサプリメントで知られるウェルネスブランドSIMPLISSE/シンプリスを立ち上げた山本未奈子さんが2020年にスタートしました。
接した人がみな前向きな温かさを受け取って帰る、そんな新しい時代の女性リーダー像を体現する山本さんですが、じつは42歳の時点で更年期障害を実感し始め、46歳で「大クラッシュ」ともいえる壮絶な更年期障害に苦しめられた経験を持ちます。
「46歳の大クラッシュでは半年の間仕事も完全に休まざるを得ない状態になり、人生が180度変わりました」と語る山本さん。これまでの経緯と、大クラッシュからの回復についてお話を聞きました。
株式会社V Holdings 代表取締役Co-CEO/ MNC New York株式会社 代表取締役CEO 山本未奈子さん
48歳。12歳からイギリスで過ごし、UCL(ロンドン大学)卒業後に帰国、商社と外資系証券会社に勤務。32歳でNYの美容学校 L’atelier Esthetique へ入学し、首席で卒業。2009年にMNC New York Inc.を設立、以来一貫して美容の専門家として活動を続ける。プライベートでは9歳娘、11歳息子、18歳娘のママ。28歳、34歳で結婚を経験し、現在はシングルです。一番上のお嬢さんはアメリカに進学し親元を離れ、いまは2人の子ども、愛犬とともに暮らしています。
【100人の更年期#89】前編
▶「私みたいな症状の人」が必ず見つかる! 更年期体験談の集大成『100人の更年期』のイッキ読みはこちらから
「まさか、私が更年期?まだ42歳なのに?」信じられないことが次々に起きる
「私、半年お休みをいただいて、23年1月に復帰したばかりで。おかげさまですごく元気になりました。こんなに元気で大丈夫なのかな?って思うくらい。更年期の前の調子のよかった頃に戻っているんです」
そう話し始めた山本さん。つい先日まで「超重症の」更年期症状、更年期をきっかけとしたうつに苦しめられていたとは思えない笑顔です。これまでの経緯を教えてください。
「そもそも、更年期の到来が早かったんです。学生時代から生理は25日周期で乱れなかったのに、42歳で急に30日になったり3週間に1回になったり、不順が目立ちました」
病院で検査したところ、更年期ごろ排卵が途絶えるとたくさん刺激して排卵を促そうとするFSH(卵胞刺激ホルモン)値が高い値になっていると判明。
「医師に『これはもう更年期に入っていますね』と診断されました。こんなに元気な私が更年期ですか?と本当にびっくりしました。このあたりを境に体調がちょっとずつ下降していくんです」
ここで気づけていれば違ったかもしれない。私は「うつ」のサインも見ないふりをした
生理不順に続いて感じたのは、43歳ごろからの肩こりや頭痛、ホットフラッシュでした。
「先に更年期と診断を受けていたおかげで、最初にホットフラッシュを体験したときも、これがホットフラッシュか!と気づきました。暑さで突然夜中に目が覚めたり。暑い!暑い!って言っていると、娘にママ今日は寒いよと冷静に言われたり。そうか、更年期障害はこんなふうに始まるんだなって実感しました」
もともと頭痛を持っていた山本さんですが、このころから片頭痛が悪化し始めます。そして44歳のある日、突然目が回って立ち上がれなくなりました。
「突発性難聴とメニエール病に見舞われたんです。最初は携帯の着信音が1オクターブ低く聞こえて、反対にピンポーンというチャイムの音はシャープがついてるような違和感で。耳鳴りもありましたよ、耳の中でゴゴゴゴゴという砂嵐みたいなすごい音がするんです。目まいのせいで立てなくなってしまい、『耳だけ入りますね~』と言って寝ながらミーティングに参加したこともありました」
この症状には更年期も関係あるのですか?と医師に聞いたところ、やはり更年期の人は発症しやすいと言われたそうです。
「今思い返しても、このころは自律神経が最悪に乱れていました。2020年のBé-A〈ベア〉の立ち上げに向けて準備で大忙しだった2019年、プライベートでは離婚をし、さらに長女がアメリカに留学するため私の前からいなくなってしまった。そうこうしているうちにコロナ禍が始まったことの影響もあると思います。私は社交大好きなので、外に行って誰かと会えないことが大変なストレスになりました」
45歳になるころには「あとから思い返せば」細かな異常が出ていました。こうした症状に気が付いてはいたものの、まさか、そんなと「気づかないふり」をしていたそうです。
「間違えてはならない間違えをしたり、会議が上の空だったり、ぼーっとすることも増えたり、忘れ物が多くなったり。うつの症状が出ていたのですね。もともと1年に1回2回、すごく気分が落ち込む時期があるんですが、それが毎月ピッチになってきて。更年期といえばイライラするというイメージですが、それは私の場合はなく、むしろ精神的に落ちることが多くなりました。そしてついに去年の6月、46歳で突然起き上がれなくなってしまったのです」
診断は『うつ』でした。
医師はひとこと、「すぐに休みなさい」。内心わかっていた、どこかおかしいということに
「もともと無理が溜まりに溜まっていたのでしょう。それまで、仕事をしていても手が震えたり動悸したり、ミーティング中も相手の声に集中できなかったりと、いろいろおかしかった。私の体調はゆっくりと下降していたのに、ずっと同じペースで無理を続けてしまった。結果、ある日ブツっと糸が切れてしまったんです。心はとっくにどこかへ行ってしまっていたのに、そんな身体の声をまったく気にかけてあげていなかった」
駆け込んだ心療内科では「すぐに長期の休職に入るように」とドクターストップが出ました。その場で医師が診断書を作り、会社にFAX送信してくれるような事態でした。この、医師からその場で具体的な指示が出たことにほっとしたと山本さんは言います。
「やっぱり、おかしかったんだ、止めてもらえたって。自己管理ができていないという話ですが、逆に私は私の会社で働いてるからこそ、どれだけでも頑張れてしまっていたんですね」
重要な仕事をいくつも抱えながら限界を迎えた山本さんは、そこからまる2か月間「寝たきり」に陥ります。
毎日ベッドで天井を見上げ、ひたすら涙が流れるまま寝る以外のことができなかった
「本当にもうギリギリの限界まできて、ぷっつりと倒れたせいか、急激にものごとに無関心になりました。無気力になり、音楽も聞きたくない、映画も見たくない。寝る以外のことができませんでした」
当時はちょうどコロナ禍に入って半年ほど。リモートワークも定着して運動不足になり、また人と会えないことでどんどん気分がふさぎ込んでいく、あとから思えば同時多発でいろんなことが起きていた時期でした。そんな中、その瞬間の山本さんは呼吸をすることで精いっぱいの状態に。
「2か月間はずっとぼーっと寝込んでいて、来る日も来る日も空を見て、風が吹いてるなと思ったり。この間の記憶はほぼありません。私、ストレスたまると食に走るので、この2か月でも結構太ったんですが、それも楽しんで食べるのではなくて、惰性で胃に入れている感じでした」
投薬治療も受け、ただひたすら休む2か月間。お母様が手伝いに来て家の中のことをしてくれたのが本当にありがたかったそうです。そんな中、いちばん辛かったのは起き上がって掃除ができないことでした。書類の整理もできず部屋は散らかったまま。
「このまま寝ていてもよくなる保障もない。未来の展望もなく、真っ暗闇の中でどこに明かりがあるんだろうと不安で不安でたまらないのですが、2か月たったらほんの少しだけ明かりが見えた感覚になりました。そして、よし今日は部屋を片づけてみようと思えた瞬間がきて、あれ、もしかして私、治ってきたかな?と感じました。そのあと、よし、散歩に出てみようかなと思えるタイミングがきて、3か月目に入ってから外へ出てみました」
ここから着実に回復が始まった、と山本さんは振り返ります。4か月目には1日1万歩ほどの散歩を楽しむようになりました。
「でも、努力して歩いたという感覚はないんです。シンプルに散歩って気持ちいいな、ずっと歩いていたいなって思っていました」
もうひとつ、山本さんが大切さに気付いたのは睡眠だったそう。
「最初の2か月で、寝ることがこんなに大事なんだと改めて思い知りました。私、寝つきはいいほうだったはずなのですが、倒れる前は全然眠れていなかったんですね。夜9時か10時に寝るけれど、2時3時に目が覚めていて。倒れてから導眠剤の力を借りたのですが、12時間連続で眠ることができた日はあまりにも身体がラクで。いつの間にこんなに眠れなくなっていたんだろう、まったく気づいていなかったと驚きました」
こうして生活リズムを取り戻してきた山本さんは、なぜ自分が倒れてしまったのか、生活習慣の分析を始めました。
スポンサーリンク