討死した武士の葬儀代は誰が払った?「信長の葬儀」すら権力誇示に利用した秀吉の算段
戦国時代における葬儀
戦国時代、武将が亡くなると仏教式の葬儀が基本的に執り行われました。遺体は棺に納められ、僧侶によって供養され、焼香が焚かれたのちに葬られました。当時の合戦では、身分が高い武将の首は敵側に送り返すのが暗黙の了解。このため、戦死した武将はきちんと埋葬されることも珍しくなったのです。
また、遺骸が行方不明の場合は、棺に代用品を納めることもありました。例えば、織田信長の遺骸は本能寺で見つからなかったため、秀吉は信長の木造を納めています。
戦国時代は、宣教師によってキリスト教が日本に布教された時代でもあります。豊臣家に仕えた黒田官兵衛はキリシタンでした。官兵衛の遺骸は船で博多の教会に運ばれ、キリシタンとしての葬儀が本人の希望で執り行われたと伝わっています。加えて、幕府への配慮や大名家の葬儀としての体裁を保つために、仏教式の葬儀も行われています。
一方、庶民の葬儀は極めて簡素であり、共同墓地に埋葬されるのが一般的であったと伝わっています。特定の場所に遺体を野ざらしにしたり、水中に沈めたりする例も見られました。
▶信長の葬儀は何日間も続いた?
この記事は
アメリカ文学研究/ライター
西田梨紗
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