討死した武士の葬儀代は誰が払った?「信長の葬儀」すら権力誇示に利用した秀吉の算段
織田信長の葬儀を執り行ったのは秀吉
『豊臣兄弟!』の31話では、小一郎(仲野太賀)が織田信孝(結木滉星)から三法師を取り戻すため、「信長の葬儀」という名目で重臣らを集め、話し合いの場を設けることを試みていました。しかし、織田家の重臣は市(宮崎あおい)を喪主とし、秀吉(池松壮亮)抜きですでに葬儀を終えており、秀吉が主宰した葬儀には織田家の家臣のほとんどが集まりませんでした。
史実では、1582年10月、豊臣秀吉は織田信長の葬儀を大徳寺(京都)で行いました。秀吉が執り行った信長の葬儀には数千人の僧侶が集まり、1万貫もの費用をかけた盛大なものであったと伝わっています。

大徳寺 筆者撮影(2023年11月)

大徳寺 筆者撮影(2023年11月)
信長の遺体は発見されなかったため、等身大の木像を棺に納め、葬儀が7日間にわたって行われました。棺の前を池田輝政、棺の後ろを於次秀勝が歩き、秀吉は太刀を持って随行したと伝わっています。葬儀は無事に終わったものの、秀吉と勝家の溝はこの葬儀によってさらに深まったといわれています。秀吉が三法師を喪主とせず、自身の養子である羽柴秀勝(信長の四男)に喪主を務めさせたためです。
なお、喪主は秀勝であったものの、実質的に秀吉が主宰した葬儀であり、天下人への道を開くためのパフォーマンスだったとする見方もあります。勝家は秀吉の行動を”秀吉の織田家後継者宣言”と重く受け止め、秀吉への不信感と苛立ちを一層強めたともいわれています。
▶庶民の遺骸や墓はどう扱われた?
この記事は
アメリカ文学研究/ライター
西田梨紗
スポンサーリンク
スポンサーリンク
















