夫は自害という説も……。離縁させられたあさひだけではない!政略に翻弄された戦国の姫たちと秀吉の母・なか
あさひは無理やり離縁させられ、家康の妻に……。秀吉と家康は義兄弟に
豊臣秀吉は関白に就任すると、徳川家康を家臣として服従させようと必死になります。そして、家康に上洛をうながすため、家康のもとに使いを出しました。
家康は秀吉の思惑を鋭く察し、上洛をためらっていました。そこで、秀吉は一手を打ちます。妹のあさひを家康の妻に迎えるよう、縁談を持ちかけたのです。このとき、家康は正室・築山御前をすでに失っており、正室はいませんでした。一方、あさひにはすでに秀吉の家臣・佐治日向守という夫がいましたが、秀吉は二人を強引に離縁させ、あさひを家康のもとに送りました。
なお、いくつかの諸説があるものの、あさひと日向守が愛し合っていたのは確かで、日向守は秀吉の強引なやり方に納得できず、“自殺した” “行方不明になった”という説もあります。秀吉は「あさひと離縁したら、5万石やるぞ!」と、あさひと日向守に配慮したものの、それでも納得できるものではなかったのです。一方、あさひが日向守との離縁をどう思ったかは想像の域を出ませんが、当時においては家の方針に静かに従うのが一般的でした。
あさひと家康は表向きは結婚でしたが、あさひは実質的には“人質”でした。秀吉はあさひを家康に預けることで、“大坂に来ても身の安全は保証する”というメッセージを暗に送ったのです。
二人の結婚時、あさひは44歳、家康は45歳。武士の平均寿命が40代ともいわれる時代にあって、高齢ともいえる年齢での政略結婚でした。家康があさひに惚れ、迎えたわけではありません。秀吉から“押しつけられた縁談”に、政治的に応じざるを得なかったというのが実情です。それでも、家康はあさひに対して冷たく接することはなく、優しく接していたと伝わっています。
▶実質的に‶人質‶だったあさひ。さらに……
この記事は
アメリカ文学研究/ライター
西田梨紗
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