夫は自害という説も……。離縁させられたあさひだけではない!政略に翻弄された戦国の姫たちと秀吉の母・なか
70歳前後のなかも人質に!?老いた母ちゃんを人質に出した秀吉
家康はあさひを正室に迎え入れても上洛しなかったため、体調を崩したあさひの“見舞い”という建前で、秀吉は母・なかを家康に人質として出しました。
本来、人質とは、立場の下の者が上の者に対して差し出すものです。秀吉の方が家康より上位にありながら、妹に続き、母まで送るという行為は、周囲をおどろかせました。
我が家に敵意を抱く相手のもとへ、70歳前後の母親を人質として送り出すなど、常識では考えられません。秀吉に勝算があったとはいえ、身の危険はありますし、大坂と岡崎(愛知県)の行き来は、当時の移動手段などを考慮すると、老体に堪えます。
家康が大坂の秀吉のもとに出向いている間、なかとあさひの宿所の周囲は薪で囲まれ、家康に万一の事態が起きれば、二人を焼き殺せるよう備えられていたという説も残っています。
家康は本意ではなかったものの、大坂城で秀吉と正式に対面し、深々と頭を下げて臣従を誓いました。その後、無事に岡崎へ帰還しました。
なかは70代後半まで生きましたが、あさひは豊臣家の中では短命で、48歳にして病によりこの世を去りました。
▶戦国時代に離縁させられた女性たち
この記事は
アメリカ文学研究/ライター
西田梨紗
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