人の死と常に向き合う医師がいま思う、生きること、死ぬこと

こんにちは。「予防医療」のスペシャリストで、医師の桐村里紗です。

 

この連載では、人生100年時代の折り返し地点、50歳になる前にやめたい悪習慣についてお伝えしていきます。

 

三浦春馬さんの若過ぎる死があまりにもショックです。2020年は、新型コロナウイルスによる死者についても連日報道され、「死」を日常に意識せざるを得ない年になりました。

 

死について、目をそさらず、一人一人がしっかりと向き合うことで、存分に生きたい!と思う今日この頃です。

【ネオヘルスケアドクターLISAの「50歳になる前にやめる100のこと」#36】

医師として痛感する。死はいつも私たちの隣にある

普段、生きていると忘れがちになりますが、生まれた瞬間から、人は死へのカウントダウンを始めています。

 

自分自身、また側にいる大切な人や友人たちは、いつも、そしてずっと、そこにいるはずだと勘違いしてしまいますが、事故や事件、病気、そして自死などで、突然、居なくなることだってあります。

 

私自身、病院や在宅診療で、たくさんの患者さんの死の現場を経験してきましたが、準備期間があるかに思われる病死であっても、その心の準備が十分にできることは多くありません。

 

人は、「生」しか見たくない、考えたくないので、突然に死が訪れたり、余命宣告をされる癌のような病気になったりして、始めて、死を認識して、青ざめます。

 

でも、死は、誰の隣にもひっそりとした陰として、存在しています。

 

生きることは人の、生命の根源的な欲求

この世に肉体を持った人間の最も根源的な欲求とは、生きる欲求。

 

何か痛みを感じたら、咄嗟に手を引っ込めるなど、人は本能的に危険を回避して、この肉体を維持するようにプログラミングされています。

 

衣食住の安全を確保し、大切な人との愛を育み、社会で認められるように頑張る。

 

人間のあらゆる行動は、根源的には、自分の存在を保つために行っています。

 

生きる欲求は、リビドーと呼ばれ、ポジティブに頑張る際に必要な根源的なエネルギーを生みます。

 

ですが、人は相反する生と死の欲求を持っています

一方で、人間は、相反する欲求を持っています。

 

それが、死の欲求、タナトスと呼ばれます。

 

肉体を持って生きることは、楽しいばかりではなく常に苦しみを伴います。根源的に生きたいと願いながらも、同時に、この肉体を解放して自由になりたい、つまり「死にたい」という欲求も持っています。

 

この相反する欲求は、時に拮抗しながら、時にどちらかに偏りながら、バランスをとっています。

 

「生きる意欲が湧かない」「何もかもが面倒くさい」「生産的になれない」そんな時は、どちらかというと死の欲求の方が優勢になっています。

 

この時には、自分の存在意義を失っている状態です。

 

でも、人生で考えると、この無為な時間、立ち止まる時間も、次のステージのための大切なプロセスです。

 

一つの人生の中で、一度、自分の存在意義を失っても、それを壊して、また別の新しい自分に生まれ変わり、新たな存在意義を見出していくことは、決してネガティブなことではありません。

 

存在意義を見出すと生の欲求が湧いてくる

どうやったら、生の欲求が湧いてくるかといえば、自分の存在意義が見出せた時です。

 

この肉体を持ってこの世に生きる意義があるということが腑に落ちている時、人は、生の欲求が沸き、生のエネルギーにあふれます。

 

自分にしかできない仕事で成果を出せたとき。
自分の役割があり、誰かに必要とされているとき。
愛し愛されているとき。

 

そして、大切なのは、自分の素直な状態をありのままに発揮できているかどうかです。

 

「素直な自分」と「役割の自分」は乖離してしまう

他人から求められる自分と、本当の自分には、しばしば乖離が生まれます。

 

 

本当の素直な自分がしたいことがあるのに、他人からの期待や社会的に身につけた役割を演じなければならないと、自分の本質を抑圧してしまう状況です。

 

 

例えば、私であれば、素直なありのままの自分自身と、医者として社会から求められる役割の自分には、ズレがあります。「医者だから、〇〇してはダメ」ということが色々と規制になります。

 

 

人は、ある程度、社会的な役割や家族の中での役割(例えば、母親としての自分など)と本当の自分に折り合いをつけ、シーンによって使い分けたりしながらバランスをとっています。

 

 

が、あまりにも役割の自分を演じ過ぎてしまうと、本当の自分が見えなくなることがあります。

 

 

特に、真面目で、周囲の気持ちを読むのが上手で、優しい人ほど、素直な自分を押し殺してしまいがちです。

 

 

すると、自分の根本が、生きる意味、存在意義を失い、生の欲求を持てなくなり、死の欲求の力に引っ張られてしまうことになります。

 

自分の素直な気持ちをそのまま大切にしていいのです

「役割の自分を常に演じていなければならない」と思い込んでしまうと、本当に素直な自分をありのままに発揮することを躊躇します。

 

嫌われてしまうのではないか?受け入れられないのではないか?

 

そうすると、生が脅かされるので、恐怖を感じます。ですから、そんなことはなかなかできません。

 

でも、本当は、ありのままの自分を素直に、思う存分発揮して生きても、もちろん、愛されるし受け入れられます。失う人やものはあるかも知れませんが、新たな人やものを得て、新たなステージが必ず用意されます。

 

素直な自分で生きることこそが、生のエネルギーを思う存分発揮して、ワクワクと創造的に生きる一番大切な方法です。

 

生を謳歌するために、私たちが敢えて死を語るとき

死を意識しないでいると、今、生きていることの尊さや価値を忘れてしまいがちになります。

 

でも、1週間後に死ぬとしたらどうでしょう?きっと、素直な自分がやりたかったことを思いっきりやろう!と思い、すぐに行動に移すのではないでしょうか?

 

この肉体を持った人生は、一度きりです。

 

しかも、死は、いつも隣にあります。

 

三浦春馬さんの死の直接的な原因は、ご本人以外には知り得ようもありませんが、自死を選んだのだとしたら、存在意義を完全に失い絶望なさったに違いありません。

 

その死を昇華するならば、今こそ、私たち一人一人が、自分や大切な人の死について目をそらさずに、思う存分に生き切るために何ができるのか、何が本当にしたいのかを語り合う機会を持つことかと考えます。

 

心からご冥福をお祈り致します。

 

【ネオヘルスケアドクターLISAの「50歳になる前にやめる100のこと」、週1回、土曜の夕方に配信!】

 

文/内科医・認定産業医 桐村里紗

tenrai代表取締役医師。1980年岡山県生まれ。2004年愛媛大学医学部医学科卒。内科医・認定産業医。治療よりも予防を重視し、「ヘルスケアは、カルチャーへ」というコンセプトを掲げ、新しい時代のヘルスケアを様々なメディアで発信している。フジテレビ「ホンマでっか!?TV」「とくダネ!」他メディア出演多数。著書『日本人はなぜ臭いと言われるのか 体臭と口臭の科学』(光文社新書)他。

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