イケメンTBSアナ・国山ハセン、ポテサラ炎上でチラ見えした「モラハラ」の素質
YouTubeを見ていると、時々広告が入ってきますよね。
だいたいパターン化していて、まず女子大生とか20代前半女性向けだとこんな感じです。
・太ったから、彼氏に浮気されてフラれてしまった
・カゼを引いて脱毛を怠っているときに彼氏が家にやってきて、無駄毛ボーボーなところを見られてフラれてしまった
・口がクサくて、彼氏にフラれてしまった
アラフォーやもっと上の世代むけになると
・太ったから、抱く気がしないと言われてセックスレス
・シミがすごいために、娘の友達におばあちゃんと間違えられた
というように、「太ったり、毛が生えていたり、口がクサかったり、シミがすごいと大変なことになるよ」とささやいてくる。
女性は太ったら、浮気されても仕方ないのか?
これらは「恐怖マーケティング」と呼ばれる売り方で、「こうなりたくない!」という恐怖心をあおって商品を買わせるというもの。
分別のついたオトナであれば「そういう作戦だな」とわかるわけですが、若い女子たちが「太ったらダメなんだ」「ムダ毛があると嫌われるんだ」と解釈する可能性は高く、あんまりよくないなぁと感じています。
しかし、だからといって、パートナーのいる女性が、いくらでも太っていい、むだ毛ボーボーでいいと私は思わないのです。
男性にとって、女性の外見というのはかなり重要な要素だと私は思っていて、「男性の判断には無意識に性的メリットが絡む」とすら思っています。
顔採用と呼ばれる、見た目のよろしい女子学生が内定を得ていくのも、採用担当者が男性の場合、顔の良い子が本当に優秀に見えてしまうからではないかと思っています。
ましてや、恋愛とか婚活というプライベート案件で、そこにこだわるなと言うのは無理な話でしょう。
「恐怖マーケティング」はイヤな感じだけど、だからといってかまわなすぎも困る。この矛盾する感情は何だと思っていたわけですが、国山ハセンアナを見ていて、モヤモヤの理由に気づいたのです。
「手間暇をかけることが愛」と言って炎上したハセンアナが、ポテサラを作ってみた
同じ話を繰り返して申し訳ありませんが、みなさん、ポテサラツイート事件をご存じですか?
子連れの女性がスーパーのお惣菜売り場にいたら、見ず知らずの高齢のじーさんに「母親なら、ポテトサラダくらい作ったらどうだ」と責められたのを見た、というツイート。
「グッとラック」(TBS系)で、この話題を取り上げた際、国山ハセンアナウンサーが「惣菜のポテサラと手作りのポテサラ、どちらに愛を感じるか、やっぱり手作りのポテサラに愛を感じる」「手間暇かけるのは、愛と感じますでしょ?」と発言し、軽く炎上したのでした。
ハセンアナが「手作りが好き」なのは、個人の趣味ですから、誰にも文句を言う資格はありません。ハセンアナは新婚さんだそうですが、天下のTBSにお勤めですから、経済力は申し分ないでしょう。奥さんを専業主婦にして、ポテサラを好きなだけ作ってもらえばよい。
ただし、仕事や家事育児、介護などで忙しくすごす女性も見ているかもしれない情報番組で、「ポテサラ作れ」「手間暇かけるのは愛」と言うのは、本人もしくは番組のイメージダウンにもなりかねない。
イメージ回復を狙ったのでしょうが、ハセンアナは7月21日放送の「グッとラック」で人生初、ポテサラ作りに挑戦します。
あまり料理をしたことがないのでしょうか、ハセンアナはきゅうりの薄切りができず、にんじんは皮をむくのを忘れてしまう。じゃがいももちょうどよい塩梅に茹でられない。
40分かけて作り終えたハセンアナは「ポテトサラダは偉大です」「手間暇かけて作りましたので、おいしいと言ってもらえたら満足です」とコメントしていました。
肝心の味はというと、共演者のコメントは「じゃがいもの味がぱさぱさしてる」「フツウのつぶれた芋、何かがおかしい」とイマイチの模様。
でも、おいしくないからいいのです。手作りの大変さ、おいしく作る難しさをハセンが体現したわけですから、主婦は溜飲を下げたのではないでしょうか。「手作りは当たり前じゃないし、料理が出てくるのも基本的に当たり前ではない」とハセンアナがまとめて、番組的にすばらしいオチとなりました。
しかし、あいにく当方、ひねくれているもので、違う目で番組を見ていたのです。
男性ってプラスにもマイナスにも「評価に晒され」ないんだなと。
なぜ、ハセンのポテサラはおいしくなくてもOKなのか?
料理は食べるためのものですから、味は一番大事です。ハセンアナのポテサラは、スタジオの共演者は誰ひとりとして「おいしい」と言っていませんから、そういう意味では失敗なはずです。でも、誰もそうは言わないのです。
その理由はおそらく「がんばって作ったから」「初めてだから」だと思いますが、もし女性タレントが40分以上かけてポテサラを作って味がいまいちとなったら、メシマズ女と言われるはず。
男性は評価に晒されないけれど、女性は評価に晒されるというのは、「恐怖マーケティング」の構造とまるっきり一緒なのです。
たとえば、「太ったから、抱く気がしないと言われてセックスレス」になったというケース。確かに細身の女性が好きな男性にとっては、妻がぶくぶく太ったら抱く気はせず、セックスレスになるかもしれない。
でも、この話のズルいところは「そういうオマエ(男性)はどうなのか」という視点がまるっきり抜けているところなのです。
長年一緒にいるわけですから、男性だって太ったかもしれない。口も臭くなったり、毛も薄くなったりしてきたかもしれない。
そういう老化を「お互いさま」として乗り越える必要があるわけですが、CMではそのあたりのことは全くスルーで、女性だけ「ずっと変わらずにいる」ことを強いられ、「そうじゃないなら、捨てるから」となる。
なぜそうなるのかというと、CMの作り手の多くは男性で、彼らは「評価する性」で女性は「評価される性」と思っているからだと思うのです。
ポテサラを作り終わった後も、ハセンアナは「手作りのほうが愛情がある」としつこーくしつこーく言って、スタジオの共演者を苦笑させていました。
これは味の問題ではなく、「オレに評価されたいのなら、苦労してがんばれ」というオレサマ気質な人なのかなと思ってしまいました。
それにしても、この方、お子さんができて奥様が料理どころではなくなったりしたら、どうするんでしょうか。
まさか「恐怖マーケティング」のように、妻をポイ捨てする……なんてことはないでしょうが、奥さまにおかれましてはお体を大切に、ポテサラその他を手作りしていただきたいと思うのでした。