清水富美加の出家騒動。追い詰められて「逃げ出す」のはアリかナシか?

2月頭から、体調不良を理由にすべての仕事をドタキャンし、12日、直筆のFAXで、いきなり「芸能界を引退し、新興宗教『幸福の科学』に出家する」と表明した、女優の清水富美加。

その後も、17日に幸福の科学出版から、「千眼美子」名で『全部、言っちゃうね。』を刊行し、所属していた事務所や仕事への不満、かつて既婚者と交際していたことなどを暴露。おかげで、元交際相手であるロックバンド「KANA-BOON」のベーシストが謝罪に追い込まれるなど、あっちこっちに飛び火しまくり、芸能界(の一部)は混乱状態。かつて別の宗教団体に「走る爆弾娘」と呼ばれた女性がいたけど、清水富美加もある意味、大変な爆弾娘だったわね……。

 

誰が得をしたのかっていうと…

結局、今回得をしたのは、「清水富美加」という広告塔の知名度を一気に上げることに成功し、かつ『女優・清水富美加の可能性~守護霊インタビュー~』と『全部、言っちゃうね。』の(おそらく結構な額の)売上げを手にした、幸福の科学だけじゃないかしら。

 

それにしても、出家が報じられた当初、清水富美加の行動に対し、「仕事を放りだすのは、社会人として間違ってる」とか「ギリギリの状態だったんだから、逃げ出すのは仕方がない」とか、さまざまな意見が飛び交っていたのは、なかなか興味深かったわ。

 

追い詰められるより、逃げ出すのはアリ

ちなみにアタシは、常識とかルールとかマナーって、「守るに越したことはないけど、命や心身の健康を犠牲にしてまで優先させるほどのものでもない」と考えているので、本当に「もうこれ以上耐えられない」というところまで追い詰められているのなら、たとえ「無責任」といわれようと、その場から逃げ出すのはありだと思っているの。

 

いじめにしてもブラック企業の問題にしても、「逃げたら周りに迷惑がかかる」とか思ってしまうような、真面目で責任感が強めな人ほど、どんどん自分を追い込み、自ら命を断ったりしがちじゃない? 何らかの状況にどっぷり浸かってしまうと、冷静な判断力を失い、身のまわりの半径30センチぐらいの範囲しか見えなくなるもの。でも、今、「常識」とされていることの多くは、せいぜい明治維新後とか戦後とかに出来上がったものにすぎないし、世界ははてしなく広い。そのことに気づくためには、ときには「逃げ出す」ことも必要だし、それをアシストしてくれる他人の存在が大事なのよね。

 

もっとも、今回の件に関しては、出家表明からたったの5日で暴露本出版、という手回しの良さを考えると、どこまで本当に追い詰められていて、どこまで計画的だったのか、よくわからないのよね。教団側が言うとおり、11日から取材をして作ったにしても、品質をよほど度外視するか、ライターを酷使しない限り、難しいんじゃないかしら……。

 

あと、アタシは、「教祖や神がいなくても、人が何らかの価値観を絶対的なものだと信じ、自分を完全に委ねたら、それはすべて宗教だ」と思っているの。「仕事は何よりも大事」と思っている人は仕事教の信者だし、今の常識を疑わず、絶対だと思っている人は、常識教の信者。で、今回の流れは結局、清水富美加が、「芸能界教」から「幸福の科学」へ、自分を委ねる先を移しただけなのよね。

 

そもそもアタシたちみんな「資本主義教」よッ

もちろん、「宗教」が悪いわけじゃないわ。ある宗教から抜け出すには、別の宗教に逃げ込むのが一番手っ取り早いし、宗教に頼らなきゃ生きていけない人もいるし、そもそも、現代社会に生きる人は、基本的にはみんな「資本主義教」の信者だし。ただ、一時的に何らかの価値観に自分を委ねることがあったとしても、頭のどこかで「この世に絶対的なものなんてない」「今、自分が信じているものも、絶対ではない」ということをわかっていないと、必ずどこかでほころびや歪みが生まれるのよね。

 

というわけでアタシ、何かを盲信して疑わない人とは、友だちにはなれるけど、つきあうのはちょっと難しいかな、と思っているの。なんだか息苦しくなりそうで。でも、福士蒼汰くんとか工藤阿須加くん似のイケメンが、アタシを絶対的に愛してくれたら……ちょっと心が揺らぐかも……(勝手に夢見てろブス)。

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