梅宮アンナ初の独白「40年前、私立小で教師にいじめ抜かれた私が、ひとり娘のお受験を決めるまで」#1

2023.06.15 WORK

3年後、この世に「お受験業界」が存在することを知る。それは、芸能界よりもずっと厳しい世界だった

——「若葉会幼稚園」とは、枝光会附属幼稚園、愛育幼稚園と並ぶ御三家、超がつくほどの名門幼稚園。入園を志す方々は妊娠前からコネクションを探すという話も聞きます。入れたいと思って、簡単に入れるものなのでしょうか?

 

私が、出身者だったからなのでしょうか、幼稚園入園に苦労した記憶はないですね。それよりも、幼稚園の後の、東京の私立小学校の「お受験」のシステムが娘に合わず、とても苦労しました。

 

百々果は今はとても落ち着いた女性となりましたが、幼い頃はものすごく活発で、いっときたりともじっとしていることがなく、放っておくとくるくるバク転して遊ぶような子だったんです。静かに椅子に座って、先生のお話を聞くということがとても難しかった。

 

もちろん幼稚園の他に、リトミック、英語、お絵かき教室などにも通わせました。お受験っ子を抱える親は運転手であり、マネージャーです。朝、幼稚園に送り、2時間ほど近所で待機して、お迎えに行き、今度は習い事の教室への送迎。ほぼそれで一日が終わります。

 

だから、娘が小学校に上がるまで、仕事もあまり入れられませんでした。それなのに、1万円が千円札のように出ていくんですから、時間だけでなく、お財布のやりくりも大変です。そして、そんななか、幼稚園からはちょくちょく呼び出され、やんわりと「娘さんはお受験向きじゃない」とさとされる始末。

 

私も本当に悩み抜きました。百々果のためって思っているけれど、これは親のエゴなのかな? とか。百々果のありのままを受け入れてくれないのなら、意味がないんじゃないか、とか。それに、日本のお受験のシステムに合わなかったのは、百々果だけじゃなくて、私自身も、でした。

 

――どういうシステムに合わなかったのでしょう?

 

私がいちばん嫌いなことって、「勝った、負けたの世界」なんですよ。でもお受験は、壮絶な「勝ち負けの世界」。それは子どもだけじゃなくて親もなんです。お母さまたちは、名家に嫁いだ、高学歴の方々ばかり。シングルマザーではご縁はいただけないとうわさされる学校もありました。

 

なんだ、学歴もない、離婚経験者の私には出場権もないじゃないの、と落ち込んでしまったり。

 

お受験の世界って、究極の競争社会といわれる芸能界の100倍恐ろしく、厳しい世界だなとも思いました。ライバル意識も、マウンティングもものすごい。足の引っ張り合いもありましたし。

 

——足の引っ張り合い。ママ同士の、でしょうか?

 

例えば、「百々果ちゃん、すごく運動神経がいいね。どこの体操教室に行ってるの?」って聞かれたので、「どこも行ってないよ」と正直に答えても、「梅宮さんは、情報を隠す。行ってないわけないのに」と言いふらされたりとか。こまかいことは忘れてしまったけれど、そういうことがたくさんありました。

 

芸能界の方がずっと優しいじゃない、と思いましたもん。

 

そして11月には、だいたい合否がわかるんですが、どこに受かったのか気軽に聞いてはいけないという暗黙のルールもありまして。私は、親子で頑張った結果なんだし、希望通りの結果にならなかったとしても、それは仕方ないじゃない。親がこそこそ隠すと、子どもまで、まるで悪いことしたような気持ちになるんじゃないかと思えて、その雰囲気にもすごく違和感がありました。

 

受験先Z小学校のことで父、梅宮辰夫が「孫を養女にする」と言い出し……

――具体的にはどのような私立小学校を志願なさったんですか?

実は、百々果に合うんじゃないかと思って、第一志望に考えていたZという小学校があったんです。ただ、そこは、あくまでもうわさですが、先ほどもお話しした「両親そろっていないと受験しても無駄だ」という情報がありまして。

 

うそか本当かはわかりませんが、「離婚は子どもの受験が終わった後に」と考えているご夫婦も多いという噂がまことしやかにささやかれていました。

 

父にそれを伝えると、なんと「百々果を自分の養女にする」と言い出したんです。「親のせいで、百々果の選択肢が狭まるなんてかわいそうじゃないか」と。

 

私は、父に「パパ、それは違う。たかが受験ごときでそこまでする必要はない。冗談じゃないよ。自分とは違うもの背負って入学してなんになるの? そこまで卑屈になる必要ある?」と強く反論しました。「それに、そんな考えの学校に行く必要はないよ。それって差別じゃない!」とも。

 

父も強い人ですから、お互い一歩も引かず大げんかです。でも、最終的にはなんとか理解してくれました。

 

お受験に疲れ果ててノロに感染。しかし、ついにありのままの娘を受け入れてくれる学校に出会う

――受験に進むもっともっと手前、家族の気持ちをそろえることに大苦労する。これは本当に小学校中学校を問わず、受験あるあるです。

 

そんなこんなで、私はすっかり精神的に疲れ果ててしまい、おそらく免疫が落ちたんだと思いますが、ノロウイルスにかかってしまったんです。心身ともに限界だったんでしょうね。

 

そこでふと、今まで視野に入れていなかったインターナショナルスクールはどうかな? と思い、娘が年中の秋に、とあるインターナショナルスクールの付属幼稚園に連れていったんです。

 

娘はお教室に入るやいなや、ロッカーの上に置いてあった水槽に駆け寄って「ニモだ!ニモだ!」とぴょんぴょん飛んで回って大はしゃぎ。当時、大ヒットした映画『ファインディング・ニモ』に出てくるお魚とそっくりな熱帯魚がいたんですね。

 

私は「ああああああ! またやっちゃった。先生に注意されるなあ」と落ち込み、心の中で「お願い、おとなしく椅子に座ってよ」と手を合わせました。しかし先生は「なんて素晴らしい子なの! 好奇心いっぱいなのね」と百々果を褒めてくださったんです。

 

幼稚園や習い事の教室では、常に「落ち着きがない子」と注意されていたのに、ここなら、「元気いっぱいで、いろいろなことに興味がある子」と前向きに捉えてもらえる。私が思わず泣きそうになりながら、今までのことを相談すると、「彼女のいいところをつぶさないで。明日からいらっしゃい!」と言っていただけて。私は、もう天にものぼる気持ちでした。

 

じゃあ、そこからスムーズに事が進んだかというと、そうはいかず。

 

百々果は英語がまったく話せませんでしたから、「アップルのアの字も言えない」ですし、「おトイレに行きたい」も言えない。ストレスがたまり、1カ月間泣きながらその幼稚園に通っていました。

 

そんな彼女を見て、「もし今日もしょんぼりして帰ってきたら最後にしよう」と決めた日がありました。最後だからと、おしゃれが大好きな彼女に「今の幼稚園だったらピアスもお化粧もしていいんだよ」と言ったら、「え、ほんと?」と顔をあげたので、「日本の幼稚園と違うから、自分からお名前を言って、遊ぼうって話しかけてごらん」とアドバイスしてみました。

 

そうしたら次の日、「ママ、話しかけたらお話しできたよ!」って笑って帰ってきたんです。そこからは英語を覚えるのも、お友達と仲良くなるのも早かったですね。胸をなでおろしました。そしておかげさまで高校まで、系列のインターナショナルに進むことができました。こちらの学校の方針には、難しい思春期を迎えてからも助けてもらうことになります。

 

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