岩井志麻子 美人は本当に得なのか。人は「見た目」が何割だろう?

2017.09.26 LIFE

AVや風俗で最も人気を得られるのは、なんたって見た目が「普通の子」だ。

そもそもAVに出ている、風俗で働いている時点でいわゆる普通の子ではないのだけど、それでも男は「普通の子に見える子」を求める。黒髪、白肌、美人というより可愛い顔。

 

銀座のクラブや婚活パーティーでは

お高い銀座クラブや派手なキャバなどは、普通の子ではない高級美女や普段は会えないイケイケなギャルを求めて非日常空間に繰り出すのだが、自宅で見るAV、そして直接的にあれこれでできる子に求めるのは「ワンランク上」程度の日常。

婚活パーティーなどでも、むちゃくちゃ気合いの入った和服やドレス、もしくは極端に個性的ないで立ちは敬遠される傾向あり。話す内容も態度も含め、ここでもやっぱり普通っぽい女性が求められる。このいい方も矛盾だが、「普通に可愛い、普通に美人」ね。

 

パートナーに長身イケメンを求めるか?

女だって、誰もが振り返るマッチョな長身イケメンなんて求めてない。これまた普通の範囲内で、好みの容姿を欲しているわけで。

ありえないけど、私は人気モデルやイケメン俳優なんて一緒に歩けない。容姿も服も持ち物も見合う女でなきゃいけない、それこそ普通の格好すらできないと追い詰められる。

見た目の普通っぽさを求めるのは、中身も普通だろうと思えるからだ。激しく個性的だったり、規格外の天然だったりは、眺めておもしろがる分にはいいけど、特に自分を普通と任じる日本人には、パートナーには重いと思われがち。

 

普通っぽさという「演出」

別に万人に好かれたくもない、あっちが敬遠するならこっちもお断り、私はわが道を行く、私は好きな服を着る、という確固たる意思と哲学のある人をどうこういう気はない。

でも、「あの人を落としたい」と確実に狙っている相手がいるのではなく、「どこかにいい人いないかな」と漠然と出会いを求め、ふんわりモテを望んでいるなら、とりあえず普通っぽさの演出をお勧めする。普通ってわりと範囲が広いから、きつい縛りはない。

 

「普通」もいつかは

大丈夫。意中の人が落ちたり、いい人に求められたりしたら、「この人は実はとっても個性的で、ぼくにしか理解できない強烈な魅力がある」といってもらえるから。

普通ってのに没個性だの意志がないだの抵抗がある人は、擬態をしている、普通のコスプレをしている、今に普通のさなぎから華やかな蝶が飛びだすと思ってればいいの。

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この記事は
作家 岩井志麻子

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