「まさか…私が?」元スタイリストが子宮頸がんになり、子宮全摘&治療した話。【子宮頸がん日記#1】(前編)

オトナサローネ読者のみなさま、はじめまして。
インドネシアのバリ島で暮らすTomomiと申します。

今年の2月で40歳。女性誌ファッションスタイリストとして活動したのち、23歳でデキ婚して海外移住。さらに2年後に次男を出産するも夫との価値観が合わず、10年間の仮面夫婦生活の末離婚しました。

一時は病んでお酒に走ってしまったのですが…ヨガで自分を取り戻し、ヨガの指導者トレーニングで年下&外国人の彼と出会い再婚。その後、三男を授かると同時に子宮頸がんが発覚!

子宮全摘、抗がん剤、放射線治療の三大がん治療を行い、現在経過観察2年目に突入しました。

子宮頸がんになるまでの経緯や治療法、その時々に思ったことや女性としての生き方などを、この連載では包み隠さず綴ります。

子宮頸がんサバイバーの方も、そうでない方も、ぜひふらりと読みに来てくださいね。

【連載 子宮頸がん日記#1】前編

実は15年前から潜んでいた子宮頸がん

さかのぼること15年前。
長男妊娠中の妊婦検診でのこと。産後はバリに移住する予定だったものの、出産は日本ですることになっていました。

初期検査をいろいろと受けた後、「子宮頸がん(HPV)の結果が陽性って出てるから、産後必ず検査してね。まぁ90%自然に消滅するんだけど」とのこと。

当時私は23歳。「子宮頸がん?なにそれ。まぁ9割消えるなら大丈夫でしょ」と、子宮頸がんのことなんて忘れ去り、楽しいマタニティライフを送る日々。

ギリギリまで仕事をしていたかったため、当時お仕事していた雑誌の編集長には妊娠を隠し、毎日ヒールを履いて仕事をしていました。スタイリストはおしゃれが命ですから。

 

「妊娠中に肉断ちすると…」ってマジ!?

当時の夫は痩せ型が好み。妊婦になって気持ちが冷められるのを恐れて妊娠中に増えた体重はなんと5kgのみ。(長男の臨月時の体重=今の私の通常体重という驚愕の事実に我ながら驚き。)

看護師の義母に「妊娠中に肉を断つと、アレルギーがない健康な子が産まれるから、ぜひそうしてね」とお願いされました。

マックへ行ってもフィッシュバーガー。焼肉へ行っても野菜とイカ。産後のお祝い膳で頂いたお肉が本当に美味しかった。

 

産婦人科がカオスな状況の中、長男爆誕!

出産予定日に陣痛開始。

1日目、病院へ行ったら10分間隔なんてまだまだ、と帰らされる。
2日目、5分間隔になり激痛の中病院に行くも、子宮口がまだ開いてないからと帰される。
3日目、3分間隔が続いたら来いと言われたものの、もう耐えられないので「5分間隔だけど3分間隔の気がする」と話を盛って病院へ。

「子宮口5㎝も開いていないのでまだまだですね。階段を一緒に上り下りしましょう」と、鬼畜なセリフを言う助産師。地獄。病院のサービスで、陣痛を促進するというアロマの足湯マッサージをしてくれたが、足がかゆくなり湿疹が出始める。

分娩室近くのトイレに行ったら、隣のトイレで「赤ちゃん出てる!」と悲鳴をあげる妊婦。助産師が数名バタバタ入ってきて私のトイレのドアが開けられない。

周りのお産が進むも、全く陣痛が進まない私。医師の判断で陣痛促進剤を投与することに。3日間食べられず眠れず、体力を失っている中、促進剤により急激に痛みが増し、何度も意識が飛びかけます。

酸素マスクをつけるも、私の呼吸不足により赤ちゃんも苦しそうということで、クリステレル圧迫法をすることに。

クリステレル圧迫法とは、赤ちゃんが出ない緊急時にお腹を押して出す方法。男性医師と看護師が馬乗りになってお腹を押す光景は、若干今でもトラウマです。赤ちゃんもろとも押しつぶされるんじゃないかという恐怖…。

なにはともあれ、長男が無事に爆誕しました。

なかなか出てこなかった彼も現在15歳。私の身長を超え、声変わりをし、甲殻類アレルギーで虚弱体質(!)さまざまな部位に毛も生え、ニキビを気にする思春期男子に成長しました。

写真では良い兄風に見えますが、最近VAPE(若者に流行中の電子タバコ)を隠し持っているのがバレて、外出禁止&お小遣いなしの罰を受けております。 怒

 

▶▶【後編へ】子宮頚がんの予兆は15年前、長男誕生と共に忍び寄っていた?

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