「被災したことで、幸せの“感度”が上がった11カ月でした」家族、大切なものたち。全てのものと出会い直せた、能登の今
大変だった。でも、惨めではなかった。
晴れ晴れとしたお正月の空気を一変させたあの地震から11か月。暮らしだけではなく、家業の酒蔵の再建にも奮闘してきたしほりさん一家は、焦ることなく、でも着実に、一つずつ日常を取り戻してきました。
「我が家は数カ月の断水こそありましたが、プロパンガスで火元が確保できていたので、『こういう時だからこそ食事を大切にしよう』と、自炊を心がけていましたね。滋養にいいもの、体を温められる食材……ご近所からいただいた野菜もありがたかったです。
でも、これはあくまでも我が家なりの選択に過ぎません。
今回の震災では、食料を確保しにくい状況に置かれた方、ライフラインが断絶してしまった地域……それぞれの困難がありました。もちろん、食料やライフラインが確保できていても、自炊する気力が湧かない方もいたはずです。能登の一人ひとりが、自分にできることに対して、それぞれの形で向き合いながら歩みを進めた11か月だったと思います」。
自炊という選択ができたこと、そうするエネルギーが残っていたこと、食卓を囲めたこと。その全てに感謝している、と話すしほりさんの言葉の端々から、能登で被災した全ての方々への思いが垣間見えます。
さらにしほりさんの口から語られるのは、「ここで生きていく」という覚悟があるからこその言葉でした。
「大きな被害があった現実を前にして、あまり楽観的なことは言えませんが、物事をどう見るかは私たち一人ひとりの心に委ねられていて、それは震災前も震災後も基本的には変わらないんだろうなと。だからこそ、私たち家族はないものではなくあるものに目を向けて、できるだけ前向きに考えるようにしていました。
また、自分の心を健やかに保つ日々の積み重ねが、ものすごく大切に感じられました。被災後は、これまで以上にゆっくりとお茶を飲んだり、丁寧にコーヒーを淹れたり、夜はやっぱりお酒も楽しもうと、穏やかな時間を求めつつ過ごしています。
そんな時、お守りのように大切に感じているものがあるんです。以前から夫婦で愛用していた輪島塗りのカップやお猪口です。尊敬する大好きな漆芸家の方の作品ですが、今回の地震による火災でお亡くなりになりました。使う度に祈りにも似た想いが込み上がり、同じものづくりの担い手として、少しでも本物に近づけるように、と思うんです」。
こうして、一つずつ日常を積み重ねてきたしほりさん一家。
「やらなくてもいいけれど、やれば心が潤い暮らしが豊かになる――そういうことに、むしろ丁寧に向き合う日々でした。節句のお人形を飾ったり、神棚を清めたり……生活を整えることをやめませんでした。お花も生けるようにしていましたよ。断水していたのになんだかおかしいですよね。でもそのすべてが、心のバランスを保つために大切なことだったのだと、いま改めて思っています」。
非常事態で補い合い、気づく。出会い直せた家族のカタチ
予想だにしなかった大きな出来事から間もなく1年。震災の前と後を改めて見比べた時、しほりさんの家族のカタチはどう変化したのでしょう?
「まずは、夫との会話量が増えました。仕事でも家庭でも、今何が起きているのか、誰にどんなことを言われているのか、何に困っているのか――。以前から“バディ”という感覚はありましたが、より丁寧な情報共有をしないと回らない状況に置かれたことで、その意識がより強まりましたね。
それから、夫のみならず、子どもも含めて、それぞれの良さを持ち寄り活かすことが、いいチームワークを生んでくれるということにも気づかされました。夫はルーティーンが得意、私は大胆でフレキシブル。そこに長男の優しさや次男の明るさが加わることで救われたことがたくさんありました」。
そんな変化と発見があった日々を、しほりさんはこんな言葉でも表現します。
「私たちも子どもたちも、そして会社も、地震で大きな被災をしたけれど、周りからいただいたたくさんの励ましで、自分たちがいかに多くの方々に支えられて生きているかに気づきましたし、どれだけこの地を愛しているか実感することができました。幸せの感度が上がって、自分たちの好きなもの、大切なものに出会い直せた気がしています」。
スポンサーリンク